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◆旧別子銅山



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「新居濱」(明治41.8)を使用したものである

在:新居浜市別子山
地形図:別子銅山/新居浜
形態:山中に家屋や施設が多数集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:
訪問:2009年10月

 

 村の西部、小足谷川(銅山川支流)沿いにある。別子銅山に伴う鉱山集落。
 別子銅山記念館のパンフレットによると、露頭の発見は元禄3(1690)年、翌年開坑許可(5.9)、採鉱開始(9.22)、精錬開始(12.1)。明治35年に第三通洞が開通し、東平地区に選鉱所を建設。大正5年には採鉱本部が東延から東平地区に移転し、鉱山の中心は東平地区へと移っていった。
 また以下は資料や現地の案内板を参考にまとめたもの。「区分」「細別」は村史による。

区分

細別

摘要
銅山 前山(まえやま) 銅山峰のすぐ南の地区
山方(やまかた) 労働者の住宅・歓喜坑・歓東坑
目出度町(めったまち) 住宅のほか、代表的な施設は重任局(=鉱山事務所。明治25年焼失)・勘場(=会計)・郵便局・小学校分教場・住友病院・別子山村役場・大山積神社
木方(きかた) 焼鉱窯が並び、職員の住宅のほか、明治25年に目出度町より重任局が移転
見花谷(けんかだに) 労働者の住宅。明治32年8月の台風で潰滅
両見谷(りょうけんだに)
裏門(うらもん) 家が2、3軒
永久橋(えいきゅうばし) 蘭塔婆(場)(らんとうば)(※)のすぐ南側
奥窯(竈)(おくかま) 奥窯谷の上流に金鍋坑
東延(とうえん) 東延 採鉱本部(大正5年まで)・東延斜坑
南口 第一通洞・代々坑・採鉱課・経理課・調度課等
溶鉱炉 溶鉱炉  
高橋(たかばし) 飯場・商店等があったが、明治32年溶鉱炉流出後は高橋精錬所と採鉱・精錬関係者の住宅が主体。古くは馬方集落として開けた。ダイヤモンド水がある
小足谷(こあしだに) 上前(うわまえ) 職員の住宅。代表的な施設は醸造所・接待館・小学校・劇場など。最も新しい居住地区
下前(しもまえ) 下前に商人・朝日谷(あさひだに)に労働者の住宅。最も新しい居住地区

※ 元禄7年の大火の犠牲者を祀った墓地。鉱山の撤退後は新居浜市山根町(やまねちょう)に移転

 


写真1 石塔。円通(えんつう)寺別院にて

写真2 墓地

写真3 道

写真4 小足谷・醸造所の煙突

写真5 小足谷・接待館

写真6 小足谷・社宅にて

写真7 小足谷・神社

写真8 小足谷・劇場の石段

写真9 高橋・ダイヤモンド水

写真10 木方を望む

写真11 目出度町・石段

写真12 目出度町・灯籠の基礎

写真13 目出度町・何かの跡

写真14 屋敷跡?

写真15 「延喜(えんき)の端」より見花谷・両見谷方面を望む

写真16 蘭塔婆(場)

写真17 木方・常夜灯

写真18 木方・遺構

 

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