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◆椿(つばき)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「美濃町」(昭和27.6)を使用したものである

所在:山県市椿
地形図:下洞戸/美濃
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:移転事業
標高:上―約220〜280m 中―約220m 下―約190〜220m
訪問:2009年5月

 

 武儀(むぎ)川の支流、椿谷に沿う。集落入口には「椿村の人家分布図」の碑(平成16年10月建立)があるが、これによると下流から下村・中村・上村に細分されることが分かる。また「文亀元年頃に初まり(略)昭和四十六年閉村となる」とある。集落移転事業により大字笹賀(ささが)に移住。
 
なお大字としての椿は近世の武儀(むぎ)郡椿村。明治30年北武芸(きたむげ)村の大字となる。昭和25年山県郡に所属。昭和30年美山村(昭和39年美山町)の大字となる(「角川」より)。

 

 

≪下村≫

 

 集落の下流部。「椿村の人家分布図」の碑(写真1)によると、碑のやや手前から武藤家跡地(No.20および21)(※1)までの区間に当たる。
 地区内には村社の縣神社がある(ただし碑では「阿賀多神社」の表記)(写真2)。
 碑より姓と世帯数は武藤17・井戸・江崎・平田・松井各1の計21軒。
 旧版地形図では地区内に学校が見られるが、詳細は不明。

※1 番号は碑に拠った。概ね下流側から順に番号が振られている

 


写真1 碑

写真2 縣(阿賀多)神社。右の石柱には「村社 縣神社」とある

 

≪中村≫

 

 集落の中流部。集落入口にある碑によると、中原家(No.23)から学校までの区間に当たる。
 
碑より姓と世帯数は大澤4・中原3・真野3・大西・中山・藤田各1の計15軒。
 
分校跡には記念碑が置かれているが(写真2。平成19年8月)、設置は「椿村の人家分布図」と同じ人物による。
 以下は町史より学校の沿革。

 ―  北武芸小学校椿分校(椿589番地)
 明治6  益進義校椿支校(〓【晏に鳥】笑学校)設置
 明治16  椿学校と改称
 明治19  椿簡易科小学校と改称
 明治25  椿尋常小学校と改称
 明治30  笹賀尋常小学校椿分教場とする
 大正7  北武芸小学校椿分教場とする
 昭和16  北武芸国民学校椿分教場と改称
 昭和22  北武芸小学校椿分校と改称
 昭和46  集団移住により廃校

※2 本校も他2校との統合に伴い、平成13年に閉校している

 


写真3 廃屋

写真4 屋敷跡の遺構
 
写真5 学校跡(遊具)

写真6 記念碑

 

≪上村≫

 

 集落の上流部。学校(北武芸(きたむげ)小学校椿分校)を境に下流が中村となる。地区内には寺院(善林寺)があった。碑より姓と世帯数は中原17・大澤12・江崎2の計31軒。集落内では墓地や神明神社(写真6)も見られた。

 


写真7 屋敷跡

写真8 小屋と平坦地

写真9 墓地

写真10 善林寺跡の碑

写真11 神社

写真12 小屋と蔵

写真13 灯籠

写真14 堂宇?と墓

 

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