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◆今倉(いまぐら)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「桐生及足利」(昭和22.5)を使用したものである

所在:桐生市梅田町(うめだちょう)五丁目
(かつては栃木県田沼町飛駒(ひこま)
地形図:番場/桐生及足利
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約230m(水面は約250m)
訪問:2009年3月

 

 桐生川ダムの梅田湖に水没した集落。古い地図では住宅密集地と神社・寺院・病院・学校が見られる。
 
現在は湖畔に墓地が残り、付近には記念碑が置いてある(写真1)。墓地には平塚・佐下橋・安藏・萩原・渡辺といった姓が見られる。対岸の台(だい)集落には、桐生川ダム建設による「移転記念」の石碑がある(写真2 昭和534月、台・当実平・坂之下組合一同による建立)。
 地元の方(台在住)の話では、水没前で10軒くらいの家があった。
学校は入飛駒(いりひこま)小学校。ダム建設の56年前に焼失した(廃校後?)。寺院は碧雲(へきうん)寺。移転され、現在も梅田町に残っている。ここの本堂に飾ってある大きな草鞋(片方で50kg)は、旦那さんが何年もかけて作ったものだそう。ダム建設の後、5軒くらいが台に残留(現在は、新しい世帯も含めて4軒)、ほか多くの世帯は「クリュウタンボ」(表記不明。桐生川を少し下った川沿い)に移転した。
 
別の地元の方の話では、学校では碧雲寺の住職が教員も兼ねていた。当時は栃木県の所属だったが(かつては桐生川左岸は栃木県)、右岸(群馬県)の児童も越境してこの学校に通っていた。飛駒の一部が群馬県に編入されるころに廃止。
 なお、最近の地図で「諸沢(もろさわ)」という地名表記がある辺りが台集落。
地元の方は「諸沢」という呼び方はしていないという。

 


写真1 記念碑。石柱に立て掛けて「置いて」ある

写真2 記念碑(いちばん右)と石仏

写真3 水面下に向かう道路

 

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