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◆天久保(そらくぼ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「七面山」(昭和27.6)を使用したものである

所在:早川町薬袋(みない)
地形図:新倉/身延 身延/身延
アクセント:ソラクボ
形態:山中に家屋が集まる
標高:約650〜700m?(県道は約340m)
訪問:2009年8月

 

 薬袋から塩之上(しおのうえ)に至る途中にある。古い地図では7軒の建物が見られ、少し離れて南に役場・学校・桑畑がある。通称で「テンノクボ」と呼ぶ人もいる。塩之上の「大久保」は、字形が似ているが別の集落。
 
現在は、道路沿いにごく新しい家屋が1軒建っている。お盆で訪れていたかつての住民(昭和18年生まれ)に会うことができ、話を伺った。以下はその概要。

かつては7軒で、無人になったのは20年くらい前。2軒が長く残っていた。草葺き屋根の職人がいなくなったのも、離村のきっかけになった
山仕事・林業が主体で、土木作業に出る家もあった
田はなく、農地は畑。物々交換で米などを得ていた
寺院はあったが、既に寺としては機能しておらず、半ば物置として建物が使われていた
集落にある八幡神社(写真2)は、この方が15年くらい前に建てたもの
学校や役場がある辺りは、天久保に含まれるかは分からない。個別の地名はなかった
学校は旧五箇(ごか)村が学区。薬袋・塩之上・千須和(せんずわ)・榑坪(くれつぼ)・笹走(ささばしり)
集落内に残る四角い枡は、家畜の屎尿を溜め、肥を作るためのもの

 学校(五箇小中学校)・役場(五箇村)跡には石段や石垣が残り、植林が施された広い跡地にはいくつも石碑が建っている(写真4)。うち「五箇小中学校跡」の碑(昭和51.4建立)には、学校の沿革が記されている。

 明治22  町村制施行により曙連合村より分離五箇村と称し従前
 曙尋常小学校塩之上分教場 千須和分教場のうち塩之上を五箇尋常小学校と改め千須和分教場を五箇尋常小学校千須和分教場とする
 明治32  千須和分教場を統合現在地に新校舎を建設
 明治43  高等科を併置校名を五箇尋常高等小学校
 昭和16  国民学校令により五箇国民学校と改称
 昭和22  学制改革により五箇小学校五箇中学校と改称
 昭和34  五箇中学校本建中学校を統合し早川南中学校として発足
 昭和43  児童数の減少により廃校
 昭和43  五箇小学校本建小学校を統合早川南小学校として発足

 


写真1 廃屋


写真2 八幡神社


写真3 古い墓地

写真4 石碑群(中央に二宮金次郎)

写真5 学校・役場跡

 

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