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◆深沢(ふかさわ)



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「足尾」(昭和21.11)を加工し使用したものである

在:日光市足尾町深沢(あしおまち―)
地形図:足尾/足尾
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:約700m
訪問:2005年・2009年3月・2019年5月

 

 渡良瀬(わたらせ)川の支流、深(ふか)沢の下流部にある。かつて足尾銅山で働いていた人々の社宅(古河鉱業)。銅山堆積場もある。1996年無人化。現在も社宅の長屋が廃屋になって残っている。
 
集落入口には看板(写真21)があり、以下はその全文。


 江戸時代の深沢は間藤(まとう)村の農耕地であったが、明治10年(1877)に古河市兵衛が足尾銅山を経営するに至って発展していった。翌年には日光との物資運送を容易にするため、
本山と神子内(みこうち)間運の運送路として開発され人馬の往来で賑うようになった。同17年大富鉱(直利)の発見で各地から足尾に坑夫が集まるようになり、深沢には坑夫の信仰する八聖山金山神社が祀られ、住家も建つようになった。しかし、この運送路も同24年に開設された馬車鉄道の発展により、全く使われなくなり、奥地は鉱泥の堆積場に変った。その頃、銅山工事の請負師などの住家が1213戸あったが、同35年に大火が起り全焼したので、その跡に銅山住宅が建てられ活況を取り戻した。
昭和14年(1939)には新社宅3棟が増設され、同39年には84世帯353人も住んでいたが、以後、銅山の経営合理化などにより次第に人口は減少し、平成8年(1996)末に遂に無人の社宅となった。


 2019年再訪。集落入口の防火壁および家屋は撤去されていたが、遊具や碑など一部のものは現存。

 


写真1 集落入口(以下2009年撮影)

写真2 廃屋

写真3 廃屋

写真4 廃屋

写真5 廃屋

写真6 廃屋

写真7 廃屋にて

写真8 水道設備

写真9 廃屋と水道施設

写真10 公園?(滑り台・鉄棒・便所)

写真11 石碑。「八聖山金山神社」「權少講義大瀧速見源實長」とある

写真12 集落風景

写真13 集落風景

写真14 集落風景

写真15 集落風景

写真16 集落入口(以下2019年撮影)

写真17 集落風景

写真18 同

写真19 水道設備(写真8と同じもの)

写真20 公園?(写真10と同じ場所)

写真21 説明板

 

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