◆津荷谷(つがだに)

※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「新宮」(大正3)を使用したものである
所在:田辺市本宮町津荷谷字津荷谷
地形図:本宮/田辺
形態:川沿いから斜面にかけて家屋が集まる
標高:約80m~
訪問:2009年2月・2024年8月
町の東部、大字大津荷(おおつが)より熊野(くまの)川の小さな支流を遡った場所にある。
現地には川沿いに林道大津荷線が通っており、奥へ進むと林道に沿って農地跡が点在する。終点より奥にも、川に沿っていくらか農地跡が見られる。川向こうも含め林道沿いの農地跡はすべて歩いてみたが、屋敷跡(便所の穴や石段、瀬戸物のかけらが見られた)が1箇所、屋敷跡の可能性がある場所が1箇所見られた。
大字津荷谷は近世の牟婁(むろ)郡津荷谷村。明治22年請川(うけがわ)村(のち本宮町)の大字となる。明治24年6戸34人(男16・女18)。耕地はほとんどなくシイタケ栽培や林業で暮らしていた。昭和12年無人化。小字は津荷谷のみ(「角川」より)。
2024年再訪。先に入手していた昭和28年発行の地形図では地名が記されていなかったが、のちに入手した大正3年のものには記載。これに記された建物の場所を訪問した。
左岸の川沿い1箇所は周囲が伐採され、また土場や作業道も造られており以前とは様子が一変している(写真6)。以前の撮影場所は失念してしまったが、土場の一角が屋敷跡であったか(おそらく写真3の場所)。
左岸の高所は前回未確認の場所で、こちらも伐採ののち新しい植林地となっている。探獣害防止のネットで囲まれていることや表面がシダ類で覆われていることがあり、僅かに覗く石垣や作業道に残された陶片のほか明瞭な痕跡は確認できなかった。
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