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◆戸入(とにゅう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「冠山」(昭和33.5)を使用したものである

所在:揖斐川町戸入
地形図:美濃徳山/冠山
アクセント:トニュー
形態:川沿いに家屋が多数集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約340m(水面は約400m)
訪問:2009年5月

 

 徳山ダムの人造湖(徳山湖)に水没した集落。
 徳山小学校戸入分校・徳山中学校西谷分校があった。氏神は六社神社。
 大字戸入は近世の池田郡戸入村。明治22年池田郡徳山村(明治30年揖斐郡)の大字となる。明治14年50戸273人、同22年53戸286人、大正9年74戸393人、昭和50年62世帯151人(「角川」より)。
 かつて集落があった場所を望む湖畔には、絵地図が記された「集落略史」の石碑がある(写真3)。以下はその全文。


 山ひだを下る数々の谷の流れが、ここ戸入の地を、徳山屈指の肥沃で天の恵み豊かな里にした。
 然してその自然も、人々に優しかったばかりではない。昔、広瀬又谷の五蛇ヶ池を決壊させ、ハヒヅメ山の頂きを崩し、対岸に栄えたこの村を此の山辺に移させたのも、同じ自然の猛威であった。
 けれども、石器・縄文の世から昭和の末年に至るまで、人々は永く苦楽を共にしつつ、信仰深く、温かく互いを信じ合って、陽気に生きる心を忘れなかった。

 平成十八年九月吉日建立


 現在は徳山湖により、門入とともに交通が遮断されている。記念碑を見るには、旧坂内村川上(かわかみ)よりホハレ峠(ここまで車道)を越え西谷に降り、門入を経由し下流へ7kmほど歩くことになる。門入の方の話では、ダム建設当初は徳山会館の方面より道をつなげる計画があったが、白紙になってしまったという。現在、道がつながる予定はまったくない。

 


写真1 集落跡付近


写真2 集落上流の水田付近


写真3 記念碑

 

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