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◆塩民(しおたみ)



※明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「八王子」(昭和28.9)を加工し使用したものである

所在:相模原市緑(みどり)区三井(みい)
地形図:八王子/八王子
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約90m(水面は約120m)
訪問:2009年3月・2026年3月

 

 津久井湖に水没した集落。三井大橋西詰の北にある。

 橋の袂に「三井大橋の歴史」と題された看板(写真2)があり、これによると塩民は「一三戸の民家や畑、水田、三井小学校、広い河原があり、夏期には鮎釣、川遊び、遊覧船の川下りなどで賑わい…(略)」とある。三井小学校は、私の母と伯(叔)父たちが通った学校で、末の叔父が卒業する前に廃校になってしまった。廃校後、児童は中野(なかの)小学校に移籍。

 明治期、伝染病の隔離病棟があった。「金地坂」は、塩民より金地集落に登る坂(資料「つくい町の地名」より)。
 資料『津久井町郷土誌』には三井の小字として「塩民」が見られるが、字地の全域が水没しているよう(地番428-498)。
 以下は同書および資料『ふるさと 湖底に沈む三井小学校』より三井小学校の主な沿革。

 明治6.9  第94番小学第11支校開設。中度の三井寺を校舎に充て、住職が教育に当たる
 明治10  第118番小学三井学校となる
 明治20.1

 協心学校三井分校となる(中野・三井・三ヶ木3か町村立)。字古井部に移転し民家を間借り

 明治27.4  三井尋常小学校となる
 明治28  字五入(宮之前)に移転。校舎新築(※1)
 昭和10.10  青年学校併置
 昭和16.4  三井国民学校となる
 昭和19.5  中沢国民学校(のちの城山町に所在)と統合。塩民に移転。校舎新築(※2)
 昭和22.4  三井小学校となる
 昭和34.4  中沢を学区より分離
 昭和38.3(※3)  閉校

※1 旧三井村の中心地。既に移転後ではあるが、上の地図画像でも役場の脇に記されている
※2 『ふるさと〜』では、この時「校名を改め…」とあり、昭和34年に「再び…(略)…三井小学校にもどって…」とある(年表では「三沢村国民学校」)
※3 直接の記述はないが、『ふるさと〜』の各記述より判断できる


 2026年、ダム湖の水位低下に際して再訪。
 この時貯水率は10%程度であったが、集落は完全に水没したままで遺構は確認できず。

 


(写真1 ダム堰堤)(2022年撮影)


写真2 集落付近(2009年撮影)


写真3 説明板。左は塩民橋、中央は往時の塩民。右は
荒川(以下2014年撮影)


写真4 集落付近のジオラマ(津久井湖記念館にて)


写真5 集落付近(=写真1)(以下2026年撮影)


写真6 集落南部を見下ろす。学校跡はこの辺り

 

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