2015年 ≪ 宿泊≫ 【5月】★奈良県十津川村
・1日目
【5月-6月】 ★長崎県小値賀町
・1日目・2日目 (フェリー) (1日目) (2日目) 今回は五島列島を中心とした長崎県の旅。船による移動が多く、車では船代が相当嵩むことになります。そこで近頃の集落旅行ではご無沙汰となっていたバイクの出番となりました。ただし長距離をひたすら走り続けるエネルギーがあったのも今は昔、佐世保港までは車に頼ることに。軽バンにバイクを載せるという初の試みでしたが、特に問題もなく無事に往還することができました。 ・3日目 (チャーター船) 小値賀島内には訪問の対象とする集落等がないため、この日は藪路木島の探訪のみで行程は終了。小値賀島に戻り余った時間を過ごすため、なんとなく島内の小さな浜でぼんやりと過ごしていました。しばらくすると磯でウニを獲っていた年配の男性が戻り、何気ない話をしていると「食べるか?」と獲れたてのウニをその場で割ってくれました。殻のかけらが多少混ざってしまうのはご愛嬌ですが、新鮮な海の幸を味わうことができ、旅に一興を添える出来事となりました。バイクの旅のほうが、どうも地元の人々との交流が多いような気がします。 ・4日目 (定期船) のち この日訪れた野崎島(無住)には、かつて野首・舟森といったキリシタン集落がありました(野崎は神道)。こと野首にある天主堂は、この島のキリスト教文化のシンボルとも言える遺産です。その外見・内部の素朴な様式美には息を呑み、信仰の違いを超えて敬虔な気持ちにさせてくれます。 ・5日目 (フェリー) 小値賀町から次の目的地・中通(なかどおり)島へ向かおうとしたところ、残念なことにフェリーが入渠のため運休とのことででした。予定通りの航路を利用しようとすると、翌々日までの足止めになってしまいます。落胆する間もなく窓口で相談したところ、翌日に佐世保港経由で五島に至る便があることが分かりました。無為な時間はほぼ1日だけで済みましたが、事前によく調べなかった私の自業自得です。 ・6日目 キリスト教の墓といえば、地面あるいは台座に十字架を立てた形のものが想像されるかと思います。ところがこの日の探索中に見かけたものは、国内でよく見かける縦長の竿石に十字架を戴いた、和洋折衷の独特な墓石でした(レポート中の写真は、崩れたもののみ)。日本とキリスト教の文化の融合が垣間見られ、思わず美術品を鑑賞するような気持ちになってしまいました。五島地域ならではの風習でしょうか。なおこの形状の墓石はこの後も何度か見かけましたが、これは古いタイプのようで、最近は竿石に直接十字架を彫るものが主流になっているようです。 ・7日目 のち一時 ・8日目 ・9日目 (フェリー・チャーター船) この日の三ッ瀬・南河原・市幾良は無住となって久しく、訪問にはやや労力を要する場所です。これらの訪問の出発点となる集落で話を伺っていると、かつて南河原に住んでいた年配の男性を紹介されました。集落の話をひと通り伺い、「帰りにまた寄ってよ」との声を励みにいざ出発。男性は足腰が弱ってあまり歩けないとのことなので、ぜひこの方の足となり目となり良い報告をしたいところです。弥が上にも気持ちが奮い立ちます。 ・10日目 ・11日目 (フェリー) のち ・12日目 (フェリー・チャーター船) (一時) 小値賀及び五島の属島群には、かつては人が暮らしながらも今は無住となったものが多く存在しています。この日の姫島もその一つで、旅の計画中にもぜひ上陸したいと望んでいました。ここまで藪路木島・野崎島・葛島と順調に訪問が実現し、この姫島を目の前にして意気も揚々です。船主曰く「港は残っていると思う」とのことでしたが、船着き場があったという場所には大きな石が転がる浜が広がるのみ。座礁のおそれがあるため接岸もできず、これは外観だけ写真に収めて帰ろう、と諦めの気持ちが頭を過りました。ところがたまたま島の近くでサザエ漁をしていた小舟があり、船主の若い男性に渡しの交渉をしたところ快く引き受けていただきました。文字通りの「助け舟」です。 ・13日目 (定期船・チャーター船) ・14日目 ・15日目 ・16日目 (フェリー) (以下6月) メインであった五島から長崎の本土に帰り、残りの行程もあと少しです。緊張も抜けだらだらと写真撮影していると、突然カメラのシャッターが切れなくなってしまいました。だいぶ前からレンズの具合が悪く撮影の支障となっていたのですが、おそらくレンズの故障が原因でしょう。設定を変え強制的にシャッターを切れるようにしましたが、露光は全くの当てずっぽうでいまいち信用なりません。後日でき上がった写真を見ると、やはりどれも露出不足でほぼすべてが使い物になりませんでした。念のため携帯電話での撮影も並行して行っていたため、画像が皆無という事態は避けられました。さてこの先どうしたものか…。 ・17日目〜 のち(〜山口) (山口〜)
【8月】 ★島根県匹見町 【現・益田市】
・1日目 一時 ・2日目 この旅よりデジカメ導入。私の知らない間に、カメラはここまで進化していたとは…。 ・3日目 ・4日目 時々 ・5日目 ・6日目 時々 ・7日目 ・8日目 笹ヶ谷へ向かう林道で車のトラブルがあったため、作業に手間取り朝から汗まみれ泥まみれになってしまいました。その最中何度も川で汗と泥を流したのですが、実は上流にはかつて銅や亜砒酸を産出した鉱山の跡があります(トラブルの解決に必死で忘れていました)。過去には砒素による鉱害もあったようですが、現在は鉱害防止の工事も済んでいるので…おそらく大丈夫でしょう。体からは銅と思われる金属臭も漂いましたが、これも一種の鉱泉浴でしょうか(?)。 ・9日目〜 のち(9日目)
【11月】 ★岐阜県大和町 【現・郡上市】
・1日目・2日目 ・3日目 ・4日目 ・5日目 小川村には集落探訪初期の2008年にも訪れているのですが、土尻川の北側には到達が困難な小集落が集中している地域があり未訪問の集落が複数残ったままになっていました。今回はそのほとんどを踏破することができ、長年の心残りはだいぶ晴れました。翌日は雨の予報でしたが、もしこの雨が1日早かったら、あるいは行程が1日遅れていたら、探索する気力はまず起きなかったことでしょう。 ・6日目 時々 ・7日目 のち ・8日目 ・9日目 のち ・10日目 一時 ・11日目 ある林道で目的地に向かって車を走らせていると、先を歩いていた年配の男性に遭遇。集落の話が聞けるかもと期待していると、向こうから「ちょっとそこまで乗せてほしい」と声を掛けられました。助手席に乗せ車を走らせましたが、目的地を尋ねてもいまいちはっきりしません。どこへ行きたいという意思が明らかになく、私はどうやら徘徊のための足にされてしまったようです(おまけにかなりの毒舌です。顔は笑っているので悪気はないのでしょうが…)。 ・12日目 のち ・13日目
のち ・14日目
【12月-2016年1月】 ★高知県本川村 【現・いの町】
・1日目 (フェリー) ・2日目 ・3日目 西谷・東谷は、なぜか地形図では東西が逆に記されています。当初は意識さえしていなかったのですが、たまたま集落関係者にお会いし話を伺ったことでこの事実に気が付きました。「日が昇るほうが東谷、日が沈むほうが西谷って言っていた」とは、なるほどそのとおりです。なぜ地図上ではこのような事態になってしまったのでしょう。 ・4日目 のち(愛媛) ・5日目 (以下2016年) ・6日目 時々 ・7日目 一時 ・8日目 (定期船) 宿のテレビでニュースを見ていたところ、この日は高知市で最高気温20.3℃を記録したとか。今冬は稀に見る暖冬で、年明けも1月とは思えない暖かさが続いていました。私としては屋外での活動や車中泊などには好都合なのですが、野山の動物・植物たちはさぞ混乱していることでしょう。 ・9日目 (宿貸出車輛) (定期船) ・10日目〜 時々(高知)
|
|
≪日帰り≫ 【4月】
・野平(和歌山・高野町) のち 前年に不注意により裂けてしまった金剛杖を買い換えるため、高野町へ。そのついでに、町内に所在した小集落を訪問しました。 ・里谷(和歌山・日置川町【現・白浜町】) 仕事の現場がたまたま近くだったため、懐かしついでの再訪です。作業道は集落から遠く離れた場所から通じていたため、まさか里谷のほぼ真上で作業をしていたとは思いもしませんでした。
|