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◆五輪(ごりん)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「福江」(昭和21.11)を使用したものである

在:五島市蕨町(わらびちょう)
地形図:浦/福江
アクセント:リン
形態:海沿いに家屋が集まる
標高:数m〜約40m

訪問:2015年5

 

 蕨町の南東部。奈留瀬戸に突き出た福見(ふくみ)(=岬の名)の北西の入り江にある
 在住者の話によると、現在は2戸4人。現在も船が生活の足となっている。昭和27年頃が最盛期で、分校を作るという話が出るくらい賑わっていた(37、8軒)。半農半漁の生活を送っており、漁撈の休みの間に田畑を耕作していたという。当地にある旧五輪教会は、昭和60年2月27日県有形文化財に指定、
平成11年5月13日に国の重要文化財に指定。新教会は以前缶詰工場であった(昭和21年〜)が、昭和31年頃にはなくなっている。土着の姓のひとつに、五輪(ごりん)家がある。
 市史によると、教会には五輪及び蕨小島(わらびこじま)の信徒が通っていたよう(話より外輪にも信徒あり)。
 
以下は旧教会内にある説明文。

 旧五輪教会は明治十四年四月(一八八一)久賀島の浜脇教会として建築されたのを昭和六年三月(一九三一)現在地に移築したもので、五島に現存する木造教会では、最古の建物である
 この教会は、キリシタン弾圧時の殉教者の遺徳をしのび、信者がその総力を結集して建設したもので、五島カトリック史上重要な意義をもつ。
 建築内部の意匠は、三廊式板張肋骨穹窿(リブボールド)の純教会様式を用いたものの、建築本体は地元工匠の在来工法による和風建築であり、明治初期の日本教会建築を考察する上で、わが国の建築史上極めて位置を示める文化財である。

 昭和六十年二月二十七日指定 長崎県教育委員会

 以下は外の看板の説明文

 旧五輪教会堂は、明治14年(1881)久賀島浜脇の地に浜脇教会堂として建てられたものであり、昭和6年に現地に移築された。現存する木造教会堂としては最古の部類に入ると思われる。
 建物は木造瓦葺平屋建て。窓が教会堂特有のポインテッドアーチ型であるのを除けば、外観はまったくの和風建築の造りである。内部は3廊式の会堂、いわゆるコーモリ天井、ゴシック風の祭壇など定法どおりの教会建築様式に仕上げている。
大工棟梁は、久賀田ノ浦の平山亀太郎と伝わる。
 海辺に建つ木造建築であるため老朽化が激しく、昭和59年新しい教会堂建設のため解体の危機にさらされたことがあるが、関係機関の努力で修復・保存されることとなった。
 長い禁教政策の下、弾圧と迫害に耐え、ようやく禁教が解かれた明治初期、五島各地には信仰の証として、教会堂が建設され始めた。
 旧五輪教会堂は、その当時の教会建築史を物語る、歴史的建築様式を持つ貴重な文化財である。


 集落には現住の家屋2軒のほか、新旧の教会堂(写真2・4)などいくらかの建物がある。旧教会堂は「長崎の教会群とキリスト教関連資産」の構成資産のひとつとして、世界遺産登録に向けた検討が進められているという(訪問時現在)。集落までの徒歩道の整備、説明板やトイレの設置、遊歩道や道標の整備など随所で観光地化が進められており、世界遺産登録への準備が垣間見られる。この時も複数の観光客や関係職員、調査グループ等が訪れていた。

 


写真1 集落風景

写真2 旧教会堂

写真3 新教会堂

写真4 廃屋

写真5 石垣

写真6 集落内の道

 

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