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◆野村(のむら



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「岐阜」(大正13.3)を使用したものである

所在:各務原市蘇原三柿野町(そはらみかきのちょう)
地形図:岐阜/岐阜 犬山/岐阜
形態:平坦地に家屋が集まる
標高:約40m
訪問:2015年11月

 

 三柿野町の中部、三柿野駅の南にある。
 市史によると、開発は慶長元(1596)年。北島村の永井七兵衛による。当初は永井家が地主であったが、耕地を質入れしたため岐阜の井上紀右衛門が地主となる(安永6〔1777〕年〜)。のち岐阜の前田七右衛門(寛政年間〜)・尾張の郡蔵(文化年間〜)・尾張の今枝理三郎(弘化3〔1846〕年?〜)と変遷。野村の農民は、『濃州徇行記』(寛政期)では6戸26人、弘化3年の「人別御改帳」では9戸37人、明治5年の「村明細帳」では12戸55人。
 明治期に開設された陸軍各務原演習場および大正期に開設された陸軍各務原飛行場(現在の航空自衛隊岐阜基地)の拡張に伴い離村したと思われる。時期は不明だが、川崎造船所(現在の川崎重工業)が陸軍より依頼を受け飛行機工場を建設した大正期だろうか。
 「角川」によると、もと近世の各務郡野(の)村。明治7年三滝新田・柿沢村と合併して三柿野村の一部となる。地名の由来は各務野の中にある村という意味からとのこと。畑作が主体。鎮守は八幡神社。
 現在は川崎重工業の敷地内で確認することはできない。

 


写真1 三柿野駅付近より工場敷地を望む

写真2 正面の塀の内側が集落跡地

 

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