◆平野(ひらの)
所在:名古屋市中村区平池町(ひらいけちょう)四丁目・運河町(うんがちょう)
名古屋駅の南、線路と高速道路に囲まれた地区。もとは人口稠密な地域であったが、のち鉄道の貨物駅となった。現在はこれも廃止され、跡地では再開発が進んでいる。 「角川」および区誌の町名変遷によると、『寛文村々覚書』では22戸120人、『尾張徇行記』では27戸125人(※1)(以上平野村当時)。大正10年349戸1,553人、昭和4年22戸88人(以上南平野町当時)。近世には愛知郡の平野村であった。明治22年笈瀬村(のち愛知町)の大字平野となり、大正10年名古屋市中区南平野町となる。昭和12年から中村区の町名。昭和16年南平野町の一部と米野町の一部(※2)が平池町となる(南平野町の残部は昭和19年中川区に編入し、さらにのち運河町・運河通に分離し現在に至る。いずれも現在は多数の世帯が居住)。昭和25年米野町の一部を編入(※2)。昭和56年太閤(たいこう)一丁目・二丁目・三丁目を分離(※2)。 訪問時には新しい道路やビル群の建設が進められる傍ら、既に大型商業施設・愛知大学名古屋キャンパス(※3)・名古屋臨海高速鉄道(通称あおなみ線)ささしまライブ駅などが開業。大型マンションも建設されており、近い将来数百世帯が当地に居住することになる。 ※1 「寛文覚書」は1670年代の編纂、「徇行記」は1790年代から1820年代にかけて調査されたものであるよう
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写真1 開発風景 |
写真2 同。右は愛知大学 |
写真3 商業施設(マーケットスクエアささしま) |
写真4 ささしまライブ駅 |