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◆平野(ひらの)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「名古屋南部」(大正12.8)を使用したものである

所在:名古屋市中村区平池町(ひらいけちょう)四丁目・運河町(うんがちょう)
(古くは現在の中川区運河町(うんがちょう)・運河通(うんがとおり)の区域を含む)
地形図:名古屋南部/名古屋南部
形態:平坦地に家屋が多数集まる
離村の背景:本文参照
標高:数m
訪問:2015年11月

 

 名古屋駅の南、線路と高速道路に囲まれた地区。もとは人口稠密な地域であったが、のち鉄道の貨物駅となった。現在はこれも廃止され、跡地では再開発が進んでいる。

 「角川」および区誌の町名変遷によると、『寛文村々覚書』では22戸120人、『尾張徇行記』では27戸125人(※1(以上平野村当時)。大正10年349戸1,553人、昭和4年22戸88人(以上南平野町当時)。近世には愛知郡の平野村であった。明治22年笈瀬村(のち愛知町)の大字平野となり、大正10年名古屋市中区南平野町となる。昭和12年から中村区の町名。昭和16年南平野町の一部と米野町の一部(※2)が平池町となる(南平野町の残部は昭和19年中川区に編入し、さらにのち運河町・運河通に分離し現在に至る。いずれも現在は多数の世帯が居住)。昭和25年米野町の一部を編入(※2)。昭和56年太閤(たいこう)一丁目・二丁目・三丁目を分離(※2)
 「角川」および中川区誌によると、明治29年7月私鉄の関西鉄道が開通し、この際に名古屋側の起点として平野地内に愛知駅が設けられている。時計台を備えた広壮なもので、当時の名古屋駅よりも立派であったといわれる。この鉄道は明治40年10月1日に国有となり、愛知駅も同42年5月に廃止された。昭和5年には中川運河が完成し、船溜近辺は倉庫地域になった。さらに運河に接続する笹島(ささしま)貨物駅が当地に開設され、名古屋市の貨物ターミナルとして名古屋の産業発達に大きく貢献した。昭和61年駅は廃止された。

 訪問時には新しい道路やビル群の建設が進められる傍ら、既に大型商業施設・愛知大学名古屋キャンパス(※3)・名古屋臨海高速鉄道(通称あおなみ線)ささしまライブ駅などが開業。大型マンションも建設されており、近い将来数百世帯が当地に居住することになる。
 なお地図画像にある役場は、愛知町のもの。現在の中川区百船町(ももふねちょう)に位置し、厳密には旧平野には含まれていないよう。

※1 「寛文覚書」は1670年代の編纂、「徇行記」は1790年代から1820年代にかけて調査されたものであるよう
※2 ここでは旧平野村で現在の中村区の部分のみをを取り上げたため、当該地域は未訪問
※3 同校のウェブサイトによると、平成24年4月開校

 


写真1 開発風景

写真2 同。右は愛知大学

写真3 商業施設(マーケットスクエアささしま)

写真4 ささしまライブ駅

 

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