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◆横川(よこかわ



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「小瀧」(昭和30.7)を使用したものである

在:小谷村北小谷(きたおたり)
地形図:雨飾山
/小滝
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる

標高:約550m
訪問:2015年11

 

 大字北小谷の北部、横(よこ)川右岸にある
 横川左岸の林道から「塩の道 千国街道」の案内に従い脇道を下ると、「よこかわばし」(写真1)と塩の道の標柱、倉庫がある。この辺りが集落の入口のようで、さらに道を登ると倒潰した家屋(写真2)が見られた。周囲には2箇所ほどの屋敷跡や墓(写真5)、また何かを祀った跡のようなもの(写真6)も見られた(神社?)。これの裏手には広い池の跡のような窪みがあり、独特の景観を呈している。
 
村誌によると、殿行を含め昭和33年6戸33人、同43年7戸33人、同51年1戸2人、同60年1戸3人。
 資料『小谷の民俗』によると、刊行当時(昭和47年)で既に無住で、夏期に2組による通い耕作が行われているのみとなっている(先の統計は籍のみ?)。明治初年に小池家11戸。屋号は「あっちがわら」「こっちがわら」「沢端」「まいど」「新屋(あらや)」「大屋家(おえ)」「わらびの」「小屋家(こやけ)」「宮下」「古家(ふるや)」「西」。ほとんどが新潟・糸魚川西海(にしうみ)の専徳寺(浄土真宗)の檀家であったが、
1軒は中股と同様根知(ねち)の勝蓮寺(浄土真宗)に属していた。なお当地には講を行うお堂があった。神社は諏訪社。
 全戸が小池姓だが、同書では明治以前には「飯森」と「和田」を密かに称していたと推測している。草分けは先述の「大屋家」(飯森系小池家の総本家)で、祖先の飯森九左衛門が永禄の頃開拓したと伝わる。
 なお
地辷り(この辺りの言葉で「ヌケ」)の多い地質で、昔の位置のままの家は殿行含め14戸のうち5戸だけ。
 また当地にはかつて「
雪中分校」(※)があり、12月1日から4月30日まで開校されていた。資料では明治31年から見られ、開設はそれ以前か。昭和36年、戸土に新校舎が建設された際に寄宿舎も併設されたため、小学5年生以上はそこに泊まり、4年生以下が横川で学ぶようになった。これは戸土分校が休校になるまで継続。

※ HEYANEKO氏調べの北小谷小学校横川冬季分校だろう。昭和43年に閉校

 


写真1 橋


写真2 倒潰家屋

写真3 屋敷跡

写真4 屋敷跡

写真5 墓

写真6 何かを祀った跡?(石段が傾いている)

写真7 小祠

 

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