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◆栗平(くりだいら/クンダラ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「釋迦ガ嶽」(昭和29.3)を使用したものである

所在:十津川村内原(うちはら)
地形図:風屋/釈迦ヶ岳
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約420m
訪問:2015年5月

 

 大字内原の西部、栗平川の上流部にある。支流のカヅネ谷およびウオノ谷が合流する付近に小高くなった場所があり、この小さな鞍部を中心に集落が立地している。
 手持ちの古い地図では往時は栗平川沿いの道はなく、内原の本集落から山を越える道が主要であったよう。
 『十津川の地理』によると、昭和34年4戸21人、古くは8戸。主な産物は木炭とシイタケで、ほか自給用の田や畑(麦・大豆・イモ類など)を耕作。生業としては山林関係の労務も行っていた。
刊行当時(昭和36年)も無灯火。
 『十津川郷採訪録』によると、氏神は薄井(うすい)八幡社で、のち内原(ないはら)の矢高神社に合祀。別に山の神も祀り、鳥居と小祠が設けられていた。昭和30年代の家々は以下のとおり。

番号 屋号 備考
1  
2 中井  
3 平見 和歌山県より転入。もとは10が居住
4 新宅 古平(こだいら) もとは9の家

 また転居した家々は以下のとおり。

番号 屋号 備考
5 1の旧地。のち田となる
6   1の隠居。のち田
7 アタラシ 新谷 4の隠居。北海道へ移住。のち畑
8 古平 4の分家。昭和30年頃転出
9 新宅 もと4に居住。明治の水害後北海道へ
10 杉井 中井 3のサンキョ(※)。剣道家・中井亀治郎の生家
11 山本 山本  

※ 隠居が2代に亘ったとき、古いほうを指す言葉と思われる


 現地では2軒の廃屋と3箇所ほどの屋敷跡を確認。うち1箇所には「中井家之跡地」の新しい碑が建つ。小高いピークの北東斜面は墓地になっており、古平・中井・岡といった姓が見られる(岡家は転入世帯?)。ほか個人名で藤田・後藤・山瀬・■口(■は判読できず)各氏の墓もある。

 


写真1 集落入口


写真2 集落内の道

写真3 屋敷跡

写真4 屋敷跡

写真5 廃屋

写真6 廃屋

写真7 墓地

 

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