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◆平等(へいとう



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高田東部」(昭和22.2)を使用したものである

在:上越市牧区宇津俣(まきくうつのまた)字平等
地形図:
柳島/高田東部
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる?

標高:約470m
訪問:2015年11

 

 大字宇津俣の中部北寄り、保倉(ほくら)川支流の飯田川右岸斜面にある
 以下は
村史より当地に関する記述の要約(も含んだ記述と思われる)。

昭和21年から22年にかけて入植が行われた。開拓の主体は新潟県農業会。復員・戦災・引揚げなどの人口増、農家の次男三男対策などが目的。
戸数は公式的な記録では12戸、当時の入植者の話では11戸、『宇津小学校沿革史』によれば「旧来六戸(平等・ )開拓民十戸」であり、断定しがたい。
農地を開拓し稲や大豆・イモ類を栽培したが、環境が営農に適さず自立が望めなかったため
昭和36年全戸が離農の意嚮を固める。昭和37年12月19日、村役場において離農解散式挙行。当時の家々は羽深4・中谷・佐藤各1の計6戸27人。移転先は県内4・東京都2。
学区は宇津小学校であったが、冬季は通学が困難であったため昭和23年12月1日から翌年3月31日まで共同作業所を仮校舎とし雪中派出所が設けられた。当時児童13人。これ以降冬季分校として開設。昭和38年閉校。

 現地に家屋は皆無で、屋敷跡もよく分からず。しかし広く水田が耕作されており、現在でも人の手が入っている。
 なお村史の文面からは当地は純然たる開拓集落であるかのような印象を受けるが、「旧来六戸」とあるように元々の居住があったと思われる

 


写真1 平等橋


写真2 水田

写真3 水田

写真4 農地跡

写真5 用水路

 

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