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◆七津屋(ななつや)

 

※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「四日市」(大正12.7)および1/25,000地形図「四日市東部」(昭和14.2)を使用したものである

所在:四日市市塩浜町(しおはまちょう)
地形図:四日市東部/四日市
形態:平坦地に家屋が集まる
離村の背景:土地の接収
標高:数m
訪問:2015年11月

 

 塩浜町の南西部にある。
 資料『しおはま80年の変遷』によると、主な生業は農業(田・畑)と漁業であったよう。離村直前で80余戸
 以下は同書より離村までの主な流れ。

昭和10年頃より、戦争拡大に伴う航空用燃料の増産のため軍部が国内各地に燃料廠の建設地を探し始めた。当時県や市は塩浜地区(を含んだ一帯)を工業地帯として開発すべく工場誘致を進めていたが、原油荷揚げ地としての立地が良好で、塩浜地区に進出することが決定
昭和13年、七津屋・
北旭浜旭高旭の住民が集められ海軍燃料廠進出の説明会が開かれた。宅地・農地の一切を海軍に譲渡し、1年以内の移転を要求。用地の買収は昭和13年11月に開始され、翌年2月に完了。住民は強制的に離村となった
七津屋が馳出(はせだし)東部(現在の七つ屋町(ななつやちょう))に、高旭浜旭は塩浜(現在の高旭町(たかあさひちょう)・浜旭町(はまあさひちょう))に、北旭は大井の川(おおいのかわ)北部(現在の曙町(あけぼのちょう))に移転。高旭・浜旭・七津屋は昭和13、4年に完了したが、北旭では移転が遅れ昭和18、9年までずれ込んだ
墓地は旭のものとともに塩浜栄町(―さかえまち)に移転

 また当地には一時塩浜尋常高等小学校(後の塩浜小学校。明治8年創立)も置かれていた。これは塩浜村が四日市市に合併する際に学校の校舎建設計画が合併条件に含まれており、地区の中央ということで七津屋の北(字新平釜)に決定したもの。昭和6年秋校舎が完成(※)、同7年には青年学校も併設。昭和15年11月、海軍燃料廠と東邦重工業進出のため塩浜町1番地(現在の塩浜地区市民センターの付近)に校舎を移転した。なお塩浜学校の旭分校が明治8年11月10日から明治21年3月31日まで置かれていたようだが、北旭高旭浜旭のどこに置かれていたかは不明。

 現在は昭和四日市石油の製油所敷地内にあり、集落の跡地は正門(写真1)から200mほどの場所に当たる。痕跡等は皆無か

※ 塩浜小学校のウェブサイトでは、昭和7年4月28日七津屋に校舎新築とある

 


写真1 昭和四日市石油正門

(写真2 七津屋を案内する道標と説明立札〔塩浜本町にて〕)

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