◆塩谷(しおだに)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「山上ヶ嶽」(昭和26.7)および同地形図「高野山」(昭和26.7)を使用したものである
所在:天川村塩谷
地形図:南日浦/山上ヶ岳 形態:川の合流部に家屋が集まる
標高:左岸―約470〜580m 右岸:約480m 合流部(県道沿い)―約440m
訪問:2015年5月・2019年5月
熊野(くまの)川(※)と、支流の塩谷との合流部付近にある。家屋群は大まかに合流部の県道沿い・塩谷左岸・右岸に分かれている。
「角川」によると、大字塩谷は近世の吉野郡塩谷村。明治22年天川村の大字となる。明治9年13戸57人、昭和49年13戸34人、平成元年4戸10人。明治22年の水害の際には、全戸が大塔村【現・五條市】の簾(すだれ)へ避難している。
また村史によると、最盛期は31戸。右岸の「ヒウラ」に25戸あり、左岸の「オンジ」は昔から6戸であった。オンジは上部の緩傾斜地に田があったがヒウラに比べて日当たりが悪かった。現在(昭和56年刊行)は8軒だけで、そのうち5戸はヒウラ、3戸は新県道沿い。
当時の主な生業は農業・林業であったよう。田はまったくなく(明治にはあった)、畑・山林を保有している。
また当地には天川・大塔両村の組合立塩谷中学校が所在していた。同校は昭和45年4月より組合立が解消され天川村立となり、昭和47年廃校。以下は生徒数の推移(昭和44年までは大塔村【現・五條市】の生徒も含む)。
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訪問時、県道沿いは塩谷に属していないものと誤って認識してしまい、特に意識することなく看過してしまった(数軒の管理家屋があったと記憶)。塩谷右岸では植林地内に4軒の家屋がまとまって見られた。川岸には村営の養魚場(=中学校跡)があったようだが、平成23年の災害(紀伊半島豪雨)のためか、既に更地になっている(写真1)。左岸は寺院(写真7)をはじめ管理家屋や数軒の廃屋が散在。右岸に比べ農地が広い。
2019年再訪。県道沿いを撮影。塩野の境となる尾根付近には墓地(福田家)が見られた。
※ 村内での呼称は天(てん)ノ川
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