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◆林先(はやしざき)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「名古屋北部」(大正12.11)を使用したものである

所在:豊山町豊場(とよば)字林先
地形図:小牧/名古屋北部
形態:平坦地に家屋が集まる
離村の背景:国軍による接収(飛行場の建設)
標高:約10m
訪問:2015年11月

 

 大字豊山の東部にある。現在の名古屋飛行場(県営名古屋空港)の建設に伴い離村した集落。
 かつての居住地は全域が空港の敷地内(駐機場の一部)。隣接する大型商業施設(旧ターミナルビル)の駐車場からその跡地を望むことができる。なお商業施設には小さな公園が付設されているが、名称は「林先公園」でありその名残を窺うことができる。また集落のあった位置からは離れているものの、この商業施設や現在の名古屋空港のビルも小字林先の地内。
 読みは施設の関係者(みな年配者)からの話より確認。
 町史より、空港の主な変遷等を記す。

昭和17年5月、名古屋空港の前身である陸軍小牧飛行場の工事開始。昭和15年5月には既に飛行場の建設が決まっていたが、同17年4月の空襲により急遽着工が決まった
住民への説明も昭和17年5月に行われた。戦中の厳しい状況のもと住民の申し立ては許されず、わずか1週間で接収の承諾を得た。9月中には立ち退きも完了
飛行場用地は大部分が平坦な水田地帯であり、また気象条件も良かったことから候補地となった。また用地内の岡山・仏鬼山という2つの小山が水田の埋め立てに利用できるという利点もあった
立ち退き住民は65戸。うち豊山町民は42戸(※)
昭和19年1月末に滑走路1本を残してほぼ完成し、2月1日には完成式が行われた。
終戦後の昭和20年8月、飛行場は米軍に接収。昭和30年代初期まで5期に亘って大規模な整備が行われた。
昭和33年9月返還
昭和35年2月、空港設置法により第二種空港に認定(名古屋空港)
平成17年、設置・管理を愛知県に移管し名古屋飛行場となる(諸サイトより)

※ 同書には青山新田22戸・仏鬼5戸・山屋敷15戸の世帯主と立ち退き先の記載がある。この「山屋敷」が林先に該当すると思われるが、断定できずここでは割愛した

 


写真1 集落方面を望む

写真2 林先公園(手前)と商業施設

 

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