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◆安居(やすい)鉱山



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「石鎚山」(昭和22.3)を使用したものである

所在:仁淀川町大屋(おおや)
地形図:筒上山/石鎚山
形態:川沿いから山中にかけて家屋や施設が集まる
標高:約610m〜
訪問:2015年12月

 

 大字大屋の北部、安居川左岸側の山中にある。
 鉱山の対岸や大屋の集落に置かれている説明板によると、当地は正徳4(1714)年幕府の許可を得て伊予西条の庄屋・田中勝丞が採鉱を出願したことが始まり。文政元(1818)年5月、土州の内田菊右衛門により再興。文政4年にはおよそ100戸730人の労働者とその家族が暮らしていた。文政7(1824)年の暴風雨による災害後は経営が低迷し、天保12(1841)年休鉱。明治に入り大阪の田中産業により採掘が再開、昭和13年日本鉱業の経営、戦中の一時期池川の田中氏の経営となり、戦後間もなく(右岸の説明板)あるいは昭和19年頃(大屋の説明板)に閉山となった。

 川を渡ってすぐの場所に住宅地があったようで、いくらかの遺構と「安居小学校欅谷分教場跡/安居銅山跡」と記された標柱(写真6。昭和63年8月、町教育委員会による設置)がある。これによると分教場は昭和15年6月開校、同17年3月閉校(※)。また大屋の説明板ではこの付近に精錬窯や釈茂権現の社があったよう。ここから支流を渡ると上方へと続く道があり、相当な高さまで石垣で段々になった土地が続く。途中でこれを逸れ横道を進むと小さな社の跡を確認。町誌や説明板の地図にもある「山神社」か(写真18・19)。
 なお地元で伺った話では、上流の大滝(おおたび)神社の付近にも住宅があり、のち営林署関係の住宅が建てられ森林軌道が敷かれていたとのこと。

※ 町誌(新版)によると、昭和15年6月1日開設、昭和17年3月31日廃止。日本鉱業従業員や小川営林署職員の家庭の児童が通学し、30人以上が在籍していたという。「けやき」のみにルビが振られているが、読みは「けやきだに」だろうか

 


(写真1 鉱山前の説明板)

(写真2 大屋の説明板)

写真3 鉱山遠景

写真4 川と石垣

写真5 何かの跡

写真6 学校跡・鉱山跡の標柱

写真7 校舎跡?

写真8 物置小屋

写真9 屋敷跡

写真10 精錬窯?

写真11 何かの遺構

写真12 石垣

写真13 石垣

写真14 平坦地と石垣

写真15 石垣

写真16 石垣

写真17 道

写真18 山神社?の石段

写真19 山神社?の社跡

 

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