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◆石原町(いしはらちょう



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「四日市」(昭和30.8)を使用したものである

:四日市市石原町
地形図:四日市東部/四日市
形態:海沿いに家屋が集まる
離村の背景:本文参照
標高:数m
訪問:(2015年11月)・2016年3月

 

 近畿日本鉄道塩浜(しおはま)駅より北東に2q超にある街区。石原町内にはかつて浜旭の集落も存在したが、歴史的背景が異なりここでは別にページを設ける。
 資料『しおはま80年の変遷』によると、集落の始まりは
昭和14年、第二海軍燃料廠の進出と同時に石原産業株式会社が誘致されたことによる。工場建設に合わせて社宅も建築され、一時は500戸を超える。昭和28年、社宅西寄りの170戸が中里町(なかざとちょう)に建設した社宅に移転。これは社宅用地の一部が三重火力発電所の用地となったため。さらに昭和34年9月、伊勢湾台風により社宅にも被害が及び社宅を置き続けることが不可能となり、持ち家制度に移行。市内尾平町(おびらちょう)・鈴鹿市旭が丘に1戸建ての住宅を建設し移住が進められた。昭和34年334戸、同39年11戸(本文中)。昭和36年108戸503人、同38年20戸86人、同41年14戸57人、同42年14戸63人(「町別人口推移」の表)。平成20年現在では既に無住となっている。
 「角川」によると、「石原町」は昭和14年からの町名。もとは塩浜の一部と塩浜地先の海面埋立地。昭和34年334戸1,481人、同39年11戸110人、同55年4戸4人。

 浜旭の探訪の際に偶然近くに居合わせたが、当地の存在を把握していなかったため現在の様子は写真には収めていない。しかし当地ゆかりの南宮金山神社(写真)は訪問。古い灯籠には昭和15年、新しい灯籠には昭和60年とあり、四日市工場関係者による寄進。また狛犬も昭和15年で、四日市工場職員一同とある。鳥居も昭和15年。
 
『しおはま80年の変遷』および市史によると、神社は昭和13年石原産業株式会社が四日市に誘致された際に設けられたとのこと。祭神の金山姫命は鉱山の守り神で、岐阜県垂水町の南宮神社より勧請された。最初は事業所敷地内の大煙突(現在はない)の基部にあったが、昭和36年に現在地に移転。

 2016年3月再訪。旧街区の一角に小さな緑地が見つかり、台風の犠牲者を弔った供養塔と第二次世界大戦中にこの地で死亡した占領軍兵士の墓碑を見ることができた(写真3)。

 


写真1 神社(2015年撮影)

写真2 旧街区を堤防より望む(以下2016年撮影)

写真3 供養塔(右)と兵士の墓碑(左)

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