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◆雨池町(あまいけちょう)

所在:四日市市雨池町
地形図:四日市西部/四日市
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:本文参照
標高:数m
訪問:2015年11月

 

 JR関西本線南四日市駅より、北東に900mほどにあった街区。
 現在は南の大部分が企業の敷地、北端がゴルフ練習場の敷地となっている。
 以下は市史および資料『しおはま80年の変遷』より、当地の概要。

元は新田開発地。町ができたのが昭和19年(※)で、第二海軍燃料廠関連の大同製鋼社宅として建設された。しかし会社は操業しないまま終戦を迎え、空家のままになっていた
戦後は「住宅営団」として管理され、空襲で家を失った会社関係の人々が少しずつ住むようになった
コンビナートによる公害に晒されていることや元来低湿地であったため居住環境が悪く、昭和37年に自治会が集団移転を市議会に陳情
市は当初汚水処理施設の建設を計画していたが、水質保全法が緩和され、建設費の負担を予定していた企業数社が不参加を表明。そこで周辺の工場に土地の買い取りを要請し、2社がこれに応じた
市は移転先として「あさけが丘団地」を提案。同町の27戸(一般住宅23戸・借家3戸・工場1戸)(当初44戸あったが、公害を避け既に17戸が転出)のうち14戸が同地への移転を希望した。9戸は他地域に移住、借家3戸については市が移住先を斡旋
昭和42年5月から転居開始。しかし3世帯が移転費の額や仕事に支障を来すことを理由に移転を拒否。交渉の末昭和45年12月には合意を得て、全戸の移転が完了した

 「角川」によると、「雨池町」は昭和28年からの町名。元は大字日永(ひなが)及び馳出(はせだし)の一部。昭和40年40戸129人、同46年1戸5人、同47年以降無住となる。

※ 市史では「昭和17年に日本住宅営団によって住宅地が建設された」との記述

 


写真 南側より旧街区を望む

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