◆箕島(みしま)
所在:大村市箕島町(みしままち)
大村湾の南東にある島。大村市の中心部より西に4kmほど。現在は全域が長崎空港の用地となり、全長970mの箕島大橋(写真3)により連絡されている。現在の土地の多くは埋立地で、滑走路の大部分やターミナルビルがある場所はもと海上、もしくは属島の小規模な陸地であった(ガロー島・ソーケー島・アカ島)。空港保安防災教育訓練センターの西側から南西側にかけて長浜(ながはま)集落、南に深網代(ふかあじろ)集落、電波塔(無線標識施設兼距離測定装置)の南東の浜の付近に小泊(おどまり)集落があった(※1)。 前身は、大正12年12月に市内今津町(いまづまち)に開設された大村海軍航空隊(現在の海上自衛隊航空基地)。昭和30年大村空港となる。昭和43年頃から新空港建設の話が持ち上がり、同44年には知事が県議会において箕島が有力であると発表。当時島内には13戸66人が農業を主体に生活していたが、市内への移住に同意。昭和46年12月より用地の造成および架橋の工事が開始し、同47年1月22日に起工式挙行。用地は昭和49年9月、橋梁は11月に完成した。昭和50年5月1日に長崎空港として供用開始。世界初の海上空港で、周囲に障害物・灯火がないことや、気象による影響が少ないこと、付近住民への騒音が抑止できることなど、利点が多い。 以下は『大村史話』より当地に関する記述の抜萃・要約。 なお島内には大村小学校箕島分校があったが、離村時の昭和47年に閉校している。また離村後の島内には法界萬霊碑が建てられ、毎年の開港記念日に慰霊祭が実施されているとのこと(いずれもHEYANEKO氏調べ)。 ※1 長浜・深網代については2015年8月追記。HEYANEKO氏著の「廃村と過疎の風景8」の巻末読み物において、昭和42年発行の1/50,000地形図「大村」が引用されており、北島に長浜、南島に深網代が記されている。当初は「角川」で地名のみを確認していたが、位置を特定しかねていた
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写真2 島内風景 |
写真3 箕島大橋 ※ 携帯電話による撮影 |