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◆十郎ヶ原(じゅうろうがはら?)



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「日原」(昭和33.5)を加工し使用したものである

所在:津和野町左鐙(さぶみ)
地形図:日原/日原
形態:川沿いの一軒家
標高:約80m
訪問:2015年8月

 

 大字左鐙の北西部、高津(たかつ)川左岸にある。
 町史によると、昭和37年の時点で1戸。
 また資料『日原風土記』には地名の由来が記載されている。以下はその要約。

 昔、この近くに十郎というまじめな男が住んでいた。十郎ヶ原は当時畳(たたみ:地名)の蔵方の土地であったが、十郎が働き者であることを見込んで「お前の一代はただで作らせる」と開墾を持ちかけた。十郎は懸命に働き良い稲が稔るようになったが、蔵方はその田をただで作らせるのが惜しくなった。蔵方は十郎を連れて「天狗岩(―だき:岩の名)」の淵へ鮎を取りに行き、「下の岩に網が掛かった。外してくれ」と唆し十郎を潜らせ、さらに網を何度も打ち掛け溺れ死なせてしまう。蔵方は田を取り上げることができたが、田植えをしようと舟で渡っているとひどい雨になったり、川べりの田では十郎の幽霊が現れたり、蔵方の家で様々な祟りが起こったりしてしまう。そこで家のそばに小さなお宮を祀ることにした。このような出来事があり、この地を「十郎ヶ原」と呼ばれるようになった。今でも「十郎ヶ原に田を植えるから雨が降る」と言われている。

 付近で伺った話では、転出先は円ノ谷(えんのたに)。転出した現在でも、家の通称(屋号?)は「十郎ジューロー)」。現在でも舟で渡り水田を耕作しているとのことで、対岸からはこの水田と家屋が確認できる。なお船着場への降り口には墓のような石柱があり(写真3)、「享保五年」とある。

 


写真1 高津川と十郎ヶ原

写真2 舟

写真3 墓?

 

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