◆大鶴津(おおつるつ)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「窪川」(昭和23.2)を使用したものである
所在:四万十町大鶴津
地形図:窪川/窪川 形態:海沿いに家屋が集まる 標高:数m 訪問:2016年1月
町の南東部、土佐湾に面した海辺にある。
現在は管理家屋が1軒と、建物の残る宅地が3箇所?ほど。現在も耕作されている農地は皆無。家屋の前には新しい墓地(嶋岡氏)があり、現在も管理されている。集落北側には須賀神社(※1)があるが、やや荒廃。
「角川」によると、大字大鶴津は中世の高岡郡大鶴津之村、近世の高岡郡大弦津村(※2)。明治22年東又村(昭和30年より窪川町)の大字となる。寛保3(1743)年の郷村帳では9戸44人、享和元(1801)年の「西郷浦山分廻見日記」では7戸45人、「南路志」では「大鶴村」と見え7戸54人、明治24年7戸37人。明治期の海産物として、海苔・テングサなどの海藻類やアワビがあった。
また町史によると、古くは弘法大師を納めた大師堂があったとのこと。
※1 名称は道路地図より
※2 原文ママ。隣接の小鶴津も「小弦津村」とあり、誤植ではないよう
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