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◆四之宮(しのみや



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「中野」(昭和39.5)を使用したものである

在:木島平村往郷(おうごう)字日向坂
地形図:夜間瀬
/中野
異表記:四ノ宮(村誌)
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約700m
訪問:2015年11月

 

 大字往郷の南部、樽川右岸支流沿いにある。
 以下は
村誌より、当地に関する記述の要約。
 集落の起源は元禄年間頃。一帯の地区有林に見張りの番人が必要であったことと、計見村(後の往郷の一部)出身の六左衛門が四之宮権現をかねてより信仰していたことで、六左衛門が同地へ入山したことが始まりとされる。以来計見村の人々が続けて入山し、5世帯から7世帯と増加。当初は七曲(ななまがり)の街道を通って食料を運搬していたが、のち新田や畑の開墾を開始。さらに糠塚へ通じる道も開鑿される。しかし積雪による交通不便・薪炭需要の減少・若年層の流出などにより、昭和33年8月集落は解散。
 四之宮権現は文化9(1812)年創立(※)。養蚕の神として知られ遠方からも参拝に訪れ賑わっていた。

※ 六左衛門が元禄頃に四之宮権現信仰しているという先の記述と、時代が前後している(元禄年間は1688-1704年)。「創立」以前に正式な神社ではない形で存在?

 現地は水田跡と思われる段々の土地が川に沿って広がる。特定できた屋敷跡は1箇所。権現社の跡地は、石段や灯籠が残りはっきりとその痕跡を確認することができる。

 


写真1 集落内の道


写真2 屋敷跡(左に浴槽が見える)

写真3 碑。石段増築に関わるもの

写真4 碑。「境内」「山林壹…寄附」「月岡…」とある

写真5 神社・石段と灯籠

写真6 神社・社殿跡

 

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