◆三年ヶ浦(さんねんがうら)
※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「漁生浦」(昭和21.11)を使用したものである
所在:新上五島町榊ノ浦郷(さかきのうらごう)字三年ヶ浦?
地形図:奈良尾/有川 串島/漁生浦
形態:谷沿いに家屋が集まる?
アクセント:サンネンガウラ
標高:数m〜数十m
訪問:2015年5月
榊ノ浦郷の北部。大平(おおひら)集落から北西に1kmほどにある小さな入江「三年ヶ浦」付近にある。
町誌によると、平家の残党が逃れ、三年間隠棲したことからこの地名が興ったという。古くは観音堂があったとのこと。同書に記載されている転入の記録は、寛文6(1666)年「大の浦」より2人、西島「針木の竈」(※1)より1人、「宿ノ浦」(※2)より1人。文政年間(1818-29)大村領「三重浦」(※3)より2戸(男6・女5)、「黒崎」(※4)より1戸(男4・女2)。慶応3(1867)年大村領「九重浦」より2戸、「黒崎」(※4)より1戸。明治初期には5戸あったよう。またの榊ノ浦郷小字名として「三年ヶ浦」が記されている。
現地には堰堤が設けられ一部は水没しているものの、屋敷跡や農地跡が確認できる。最近の地図には墓地の記号が2箇所記されているが、谷沿いのものは見つからず。尾根近くのものは未確認。なお前者は水道施設(写真10)の用地となっており、これが設けられる前にはあったのかもしれない。
※1 若松島間伏郷(まぶしごう)の針木?
※2 中通島の宿ノ浦(しゅくのうら)だろう
※3 現在の長崎市三重(みえ)か
※4 現在の長崎市上黒崎(かみくろさき)および下黒崎(しも―)か
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