◆玄藤寺新田(げんどうじしんでん)
※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「高田東部」(大正3.5)を使用したものである
所在:上越市板倉区玄藤寺新田
地形図:新井/高田東部
形態:山中に家屋が集まる
標高:北―約350m 南―約370m 荻平―約180m
訪問:2015年11月
町の中北部。別所(べっしょ)川右岸側の山中にある。
訪問はまず南玄藤寺より。家屋や屋敷跡など、宅地は併せて4、5箇所ほど確認。現在も耕作されている田もあり、人の営みが窺える。墓地では下鳥・上原・西山といった姓が見られた。集落北部の小高い場所には2基の小祠が祀られている(写真12)。またさらに北には玄藤寺池があり、清里村史によると田島・福島・深澤3箇村の利用管理する用水池であったとのこと。造成時期についての記載はないが、文書は享保15(1730)年の大普請のものが最古の史料。
北玄藤寺は南よりも規模が小さく、確認できた屋敷跡は2箇所。いずれもそばに墓が見つかり、うち1箇所は上原家。北玄藤寺のほうが離村が早かったよう。
荻平玄藤寺は未訪問。
町郷土誌によると、昭和12年10月の時点で29戸173人(本籍)・25戸157人(現住)。
また大字の北西端(荻平玄藤寺)から清里村【現・上越市】荻平にかけて「玄藤寺油田」があり、地内には玄藤寺鉱区があった(清里村史より)。地図画像でも左上に油井と建物の記号が集まっているが、ここに町村境が通っている。石油採掘については荻平のページを参照。
「角川」によると、もと頸城郡玄藤寺新田。明治22年根越村の大字となる(のち板倉村→板倉町)。神社は青柳社。明治21年24戸128人、昭和63年3戸10人。
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