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◆口有道(くちうとう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高山」(昭和28.6)を使用したものである

所在:高山市久々野町有道(くぐのちょううとう)
地形図:久々野/高山
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約920m
訪問:2015年11月

 

 大字有道の西部、口有道川沿いにある。
 現在は久々野畜産センターがあるほか、いくらかの作業小屋が見られるのみ。
 旧版町史(昭和32年刊)によると、有道(※)と称する武士が戦から落ち延び、当地を開墾したことが「有道」の地名の由来と伝わるとのこと。氏は妻子を伴い口有道の平らな場所に小屋を掛け、その地を「殿畑」と名付けた。この地名は今に残っている。
 神社は八幡宮。創立は不明だが、往時より字宮之尾に鎮座し有道の産土神として祀られた。明治元年より口有道の住民が氏子となった。明治4年には村社となり口有道の住民も氏子となっている。
 新版町史(平成22年刊)には昭和30年3月に記された久々野小学校有道分校の経営日記が記載されており、当時の大まかな状況が垣間見られる。これによると、当時6戸。2町4反余の水田があり、田の少ない奥有道に比べ米の自給が可能であった。学校は児童の通学を考慮し、口有道に2月〜7月、奥有道に8月〜1月、半年交代で授業が行われていた。中学生は久々野中学校へ通学。
 また学校の創立は明治31年3月。久々野小学校の出張所として設置され、同33年3月有道分教場に昇格した(HEYANEKO氏調べでは、昭和38年閉校)。初期の変遷は奥有道のページを参照。

※ 「角川」によると、読みは「ありみち」

 


写真1 集落風景

写真2 農地跡(手前)と畜産センター(奥)

 

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