◆滝谷(たきだに)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「日原」(昭和33.5)を使用したものである
所在:津和野町滝谷
地形図:石谷/日原
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約310m
訪問:2015年8月
大字滝谷の中部東寄り、滝谷川沿いにある。滝谷の本集落で、滝谷地内にある他の地区と区別し「本滝」とも呼ばれる。
町史によると、昭和37年の時点で本滝上8戸・本滝下13戸。昭和52年8戸19人、同60年3戸5人、同62年2戸3人、平成8年1戸2人、同11年無住となる(※)。神社は大元神社。
※ それ以前の戸口も記載があるが、小滝・大山谷等、滝谷地内の他の集落が含まれていると思われる。ここでは確実に他の地域が無住となって以降の統計のみ掲載した
以下は同書より、当地にあった滝谷小学校の沿革と児童数の推移(赤字は最多)。
(沿革)
明治9.8 |
創設。民家の一部を教場とする |
明治10.4 |
字倉内に移転 |
? |
字殿倉へ移転 |
明治21 |
須川簡易小学校滝谷分教場となる |
昭和16.4.1 |
須川国民学校滝谷分校となる |
昭和22.4.1 |
須川小学校滝谷分校となる |
昭和48.3.31 |
廃校 |
(児童数の推移)
明治34 |
大正元 |
大正6 |
大正9 |
昭和元 |
昭和6 |
昭和14 |
昭和22 |
昭和25 |
昭和29 |
昭和33 |
昭和37 |
昭和40 |
昭和43 |
昭和44 |
昭和45 |
昭和46 |
昭和47 |
30 |
28 |
38 |
42 |
24 |
22 |
16 |
19 |
13 |
23 |
33 |
27 |
18 |
16 |
11 |
7 |
5 |
5 |
訪問時は3戸(4戸?)の家屋が残り、ほか墓地や神社(写真8)、「ふるさと滝谷を憶う碑」(写真9)が見られた。町史によると碑は学校の近くにあるとのことだが、小学校の校舎は取り壊されたようで既にない。以下は碑文。
世の中のうつりかわりや、人の世の縁により ふるさと滝谷を去る人も多く、今この荒廃のはげしい墳墓の地に佇み、万感の憶いをこめて この碑を設ける。
昭和62年(1987年)盛夏
滝谷人会有志
また神社には竣工記念碑が建ち、以下のような文が刻まれている。
神武天皇橿原ノ地ニ第一代ノ天皇御即位遊バサレテヨリ悠遠茲ニ二千六百年國運歳ト共ニ進展シ皇威八紘ニ輝ク此ノ聖代ニ生ヲ享ク吾人ノ感激何物カ然カン是所ニ氏子四十餘戸相議リ一千貮百餘圓ノ工費ト四百人役ノ勤勞奉仕ニ因リ欅大鳥居トコンクリート石段ヲ完成セリ依テ是所ニ碑ヲ建テ芳名ヲ記シ以テ永久ニ傳フ
祈 聖壽萬歳 神徳顯揚 國運隆昌 氏子繁昌
昭和十五年二月十一日 社掌 木島久夫謹識
また「氏子惣代」として内谷・寺戸・村上・内谷・村上・山崎・村上・内谷・齋藤・中村・西内・吉岡の各氏の名が記されている。
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