紀州南高梅干しの四季

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紀州南高梅干し・商品分類
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紀州南高梅干し
田中商店
梅干のお店

和歌山県田辺市
新万17-18

TEL 0739-23-3252

南高梅誕生の歴史


紀州梅のおこり

 紀州藩主が徳川頼宣(とくがわよりのぶ 1602〜1671年 徳川家康の十男)の頃、現在の田辺から南部(みなべ)にかけての農民は、あまり米が育たない田畑と重い年貢に苦しんでいました。


これを見た田辺藩主、安藤帯刀(あんどうたてわき)は、以前からあった「やぶ梅」に注目し、米の出来ないやせ地や山の斜面に生命力のある梅を植えさせ、年貢の軽減と農作物の育成に努めました。いつしか田辺から南部周辺に「やぶ梅」の栽培が広がっていきました。





紀州田辺印の梅干
 「やぶ梅」は、果肉が薄く小粒でしたが、農民の生活には大切な品でした。果肉をこめかみに貼り頭痛を治したり、握り飯に入れたり、その価値は大きいものでした。やがて紀州梅干は、「紀伊田辺産」の焼印を押した樽に詰め、江戸へ送られ人気が出て有名になりました。











埴田梅林(はねたばいりん)
 江戸時代、南部の埴田村では梅畑が一面に広がり、花の咲く頃は梅の匂いが野山に広がっていました。「紀伊名所図会」に紹介される程、みごとな埴田梅林は、南部川西岸の井出川原片山の片山梅林へと広がっていきます。

しかし、明治15年頃から盛んになった生糸生産の為、梅は桑の木に植え替えられるようになります。埴田を追われた梅は、やがて晩稲(おしね)・熊岡の地で南部梅林として蘇ることになります。




六太夫梅(ろくだゆううめ)
 晩稲の中辺に六太夫という人がいました。六太夫は、やぶ梅の改良を手がけた最初の人です。改良された梅は、実が大きく、紅がさして美しい色をしていましたが、干しあげると種が大きく肉が薄くなるので商品にならず、日の目を見ることなく途絶えました。これが「六太夫梅」です。








内本梅(うちもとうめ)
 明治12年頃、内本徳松は、上南部の晩稲地区で購入した山林に良種の梅を見つけます。これを母樹として繁殖させたのが「内本梅」で、上南部の9割は、この系統といわれ、「内本梅原木」として昭和11年に県の天然記念物に指定されました。




梅畑経営の始まり
 梅干は、軍隊の常備食として需要が増えていきました。晩稲でも耕地を広げ、梅作りをする人々が登場します。明治20年頃、内本幸右ヱ門が晩稲字下の谷奥・関戸に約15アールの土地を開墾し梅を植え、翌年、内中為七もそれに続きました。

人々の中傷にもめげず、黙々と梅を植え続け、実梅が育つ夢を見た二人でした。彼らこそ、梅畑経営の先駆者たちです。








内中源蔵の事業
 内中為七の長男、源蔵は紺屋を営む青年実業家でした。時代を読み、梅栽培がよいと判断した源蔵は、明治34年、紺屋を廃業し、私財を投じて熊岡の扇山を買い取り、4ヘクタールの土地を開墾しました。

その開墾地に先の内本徳松が発見した優良種を植えつけました。また、加工場を設けて梅の商品化にも着手。若き事業家の強い意志が、村の発展のきっかけとなりました。








南部梅林の基礎
 内中源蔵の事業にならい晩稲区長の高田久治郎は、農家約200戸に区有林を20アールずつ分配し、開墾と植梅を奨励しました。村は今までの粗放栽培から一変、管理栽培になり、梅蔵の数も増えていきました。

明治37年、日露戦争の始まりと共に軍用として梅干の需要が急速に伸び、村内に内中源蔵に習う者が増え、晩稲・熊岡の山々に梅林が広がりました。




高田貞楠のこ
 高田貞楠は、元上南部村長の長男でした。温厚な人柄で家を守り、村を愛する日々を送っていました。明治35年、自分の所有する約30アールの桑畑に、近所の人から購入した内中梅の実生苗(みしょうなえ)60本を植えました。その中に豊産で実が大きく、うつくしい紅がかかる優良種が1本あるのに気がつき、その木を母樹として大切に育てました。






南高梅の誕生
 小山貞一は、農業経営の成功を夢見る青年でした。昭和6年のある日、高田貞楠から門外不出の高田梅の穂木60本を譲り受けました。接木(つぎき)をしても半分も育たないという苦労を克服して栽培を続け、梅畑を広げていきました。

時は流れ、昭和25年、村内では大勢の人々が参加した優良品種の梅捜しが始まり、小山貞一も選定委員として活躍します。この結果、高田梅が最優秀に選ばれ、「南高」の名称で種苗登録するまでになりました。















※上記文章は、南部川村うめ振興館常設展示図録を参考及び引用させていただきました。

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