◇松原(まつばら)ダム・下筌(しもうけ)ダム
松原ダムは大山(おおやま)川に建設され、堤体は大分県日田市大山町西大山(左岸)と同天瀬町出口(右岸)に亘る。
下筌ダムは松原ダムの上流およそ5.4q、支流津江(つえ)川に建設され、大分県日田市中津江村栃野(左岸)と熊本県小国町小竹(右岸)に亘る。
水没した集落は5町村(大分県大山町・天瀬町・中津江村・上津江村・熊本県小国町)に及ぶ。
両ダムは昭和28年の筑後川の大水害を契機として構想され、ほぼ同時に築造された。
多くの関係住民は次第に条件付きで同意の意向を示すようになっていたが、小国町志屋住民の室原氏を中心に激しい反対運動が行われ、通称「蜂の巣城」と呼ばれる反対派の砦(写真3)を建築、当ダム建設の歴史を象徴する出来事となった。
しもうけ館(松原ダム・下筌ダムの情報収施設)の展示および中津江村誌より、以下に建設までの大まかな経緯を記す。
昭和29 |
九州地方建設局日田調査出張所開設(松原・下筌ダム工事事務所の前身)。予備調査開始 |
昭和32 |
筑後川治水基本計画決定
九州地方建設局、松原・下筌の組み合わせでダムを建設することを内部決定(8月)
小国町志屋小学校にて説明会を開催 |
昭和33 |
松原ダム調査事務所開設
中津江村野田小学校で説明会開催
志屋住民、志屋小学校で絶対反対を決議
大分県4町村にダム対策委員会発足
小国町の反対派がデモ決行 |
昭和34 |
大山村貫見公園にて、全水没地域によるダム反対決起大会開催(1月)
九州地方建設局、土地収用法を適用
室原氏ほか、ダムサイトにダム反対のための砦を築造(蜂の巣城) |
昭和35 |
室原氏ほか、反対派が東京地裁に訴訟を起こす(2月)(昭和38年9月国が勝訴)
九州地方建設局、蜂の巣城への立ち入り調査。反対派が激しく抵抗し、「下筌水中合戦」「現代川中島の戦い」と報道される(6月) |
昭和37 |
中津江村水没者補償基準書が妥結、調印 |
昭和39 |
小国町、ダム建設に条件付き賛成を決議
蜂の巣城の取り壊しを閣議で了承。6月、代執行により撤去
第2の蜂の巣城築造
小国町蓬莱地区に集団移転造成工事完了 |
昭和40 |
下筌ダム本体工事着工
第2の蜂の巣城、代執行により撤去 |
昭和41 |
松原ダム本体工事着工 |
昭和42 |
大山町の集団移転造成工事完了 |
昭和44 |
下筌ダム本体工事竣工 |
昭和45 |
松原ダム本体工事竣工
室原氏死去(6月)
九州地方整備局、室原氏の遺族に和解申し入れ。和解成立(蜂の巣城紛争の終結) |
昭和47 |
松原ダム・下筌ダム湛水試験完了 |
昭和48 |
松原ダム・下筌ダム工事完了 |
また水没集落とその戸数・人数は以下のとおり。
◆松原ダム
・熊本県小国町
志屋…23戸144人
浅瀬…21戸110人
芋野…9戸48人
小竹…7戸 (移転費用だけ)
・大分県大山村
67戸469人
・同中津江村
蕨野…16戸99人
・同天瀬町
23戸約161人
◆下筌ダム
・熊本県小国町
長瀬…2戸6人
室原…4戸27人
・大分県中津江村
下筌…11戸60人
鳥簗…10戸51人
小村…13戸56人
下鶴…16戸106人
古室原…10戸58人
池ノ山…18戸106人
荒瀬…21戸105人
栃原…50戸235人
迎田…23戸100人
イロラ・二又…7戸19人
川辺…1戸3人
・同上津江村
福島…18戸115人
広瀬…16戸98人
広川…16戸128人
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