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◆土場(どば



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「石鎚山」(昭和46.5)を使用したものである

在:西条市小松町石鎚(こまつちょういしづち)
地形図:石鎚山/石鎚山
形態:川沿いに建物が集まる
標高:約250m
訪問:2008年8月・2018年8月

 

 大字石鎚の中東部、県道142号沿いで、道路沿いでは虎杖よりひとつ奥の集落。古い地図では地名の記載はなく、学校があるのみ。
 かつて石鎚小学校・石鎚中学校があり、現在も道脇に門柱が残っている(写真1)。また
有永への山道に続く橋を渡ったところには石鎚保育所(写真8)と霊園(写真9)があり、保育所には建物も残っている。
 地名は木材の集積場所を指す「土場」より。中村の方の話では、木材を一時的に引き上げるのにちょうど良い場所だったそう。なお当時は川沿いの道路が狭隘だったため、車道ができるまでは加茂(かも)川に材木を流し下流まで運んでいたという。
 なお木材を川べりまで下ろす作業を「中出し」と呼び、搬送が索道に替わるまで地元住民の良い日雇い仕事であった。川に流す作業を「木流し」といい、製材問屋の関係者が「流し子」として専業にしていた。
 以下は町誌より、前身となる学校および当地以外での変遷を含めた学校の沿革。

(小学校)
 (明治5)  (各集落にて寺子屋式教育開始)
 (明治18)  (槌之川にて闡明小学校開校)
 (明治20)  (闡明小学校閉校)
 (明治41.7)  (下途中之川にて千足山尋常小学校開校)
 (大正12.9.13)  (に移転)
 (大正13.4)  (千足山尋常高等小学校となる)
 昭和4  土場に移転
 昭和16  千足国民学校となる

 昭和22

 千足小学校となる
 昭和30  石鎚小学校と改称
 昭和52  閉校

(中学校)
 昭和22.4  千足中学校開校
 昭和26.9.1  石鎚中学校と改称

 昭和52

 閉校


 2018年再訪。特に大きな変化はないようだが、当地から前回未訪問であった石貝の南部に訪問することができた。十亀氏の頌徳碑(写真6)が登り口の目印。

 


写真1 学校門柱。左は「石鎚中學校」、右は「石鎚小學校」とある
(以下2018年撮影。2008年はフィルム紛失のため写真なし)


写真2 校地

真3 校地の遊具と往時の建物

写真4 校地の「皇太子殿下御降誕紀念」の碑

写真5 造林記念碑

写真6 十亀縫之進翁頌徳碑

写真7 橋

写真8 石鎚保育所

写真9 霊園

 

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