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◆小原(おはら)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「五百石」(昭和32.3)を使用したものである

所在:富山市小原
地形図:千垣/五百石
アクセント:ハラ
形態:山中に家屋が集まる
標高:約500m
訪問:2011年6月

 

 熊野川上流右岸山中にある
 「角川」には「伝承によると10名くらいの落武者が信濃方面から針ノ木(はりのき)峠・立山を越え水須から入り、村の北方陣屋敷首領を構えていたという。村は生産性が低いため戸数を19戸に制限していた」とある
 付近一帯は傾斜が緩やかで、広く農地や宅地に供されている。現在も数軒の家屋や納屋などが残っている。
 訪れていた出身者(昭和14生)の話では、かつて10数軒。山仕事や自給用の田で暮らしていた。学校には河内千野谷鉱山からも児童が通い、最盛期に
70人くらいが在籍していたという。現在でもお盆の時期に神社(石動(いするぎ)社。小原字谷田割809番地)(写真5)に集まり、交流しているという。
 以下は町史より学校の沿革。

 明治9.9  寺子屋式の学校を設ける
 明治10.11  小原小学校創設(学区は小原・河内
 明治20.4  小原簡易小学校と称する
 明治25.10  小原尋常小学校と改称
 明治34.4  水須を学区に加える(※1)
 明治34.10  手出赤倉(※2)隠土安蔵を学区に編入
 明治44.7  現在地に新校舎竣工
 昭和4.6  廃校

 昭和4.7

 文殊寺(もんじゅじ)小学校の分教場となる
 昭和16.4  文殊寺国民学校小原分教場と改称
 昭和19.4  高等科併設
 昭和22.4  文殊寺小学校小原分校と改称
 昭和23.3  上滝(かみだき)中学校小原分校併設
 昭和36.3  上滝中学校小原分校閉鎖

※1 河戸移転後は牧(まき)小学校へ
※2 手出・赤倉は昭和4年に設置された赤倉冬季分校へ。穏土・安蔵は不明
※3 小学校分校は昭和39年閉校(HEYANEKO氏調査)

 資料『村の記憶』によると、無人化は昭和43年。上野・浦田・大西・大野・大原・小又・北野・酒井・杉木・大作・高田・中森・前田・松本・森田・山口・山崎・山本(荒井)各1の18軒が記載されている。良質な「小原杉」を産し、近隣の河内とともに屋根板が盛んに作られたという。本家・分家の関係であっても姓がすべて異なっていた。
 なお大字小原は新川(にいかわ)郡太田荘の小原村
。明治22年大山村の大字となる(角川)。

 


写真1 廃屋

写真2 物置小屋

写真3 物置小屋

写真4 屋敷跡にて

写真5 神社

写真6 学校跡。二股の桜(右下)は既に枯死

写真7 農地跡

写真8 戦歿者の碑(高田信光碑)

写真9 石仏

写真10 石仏

写真11 墓地跡の碑

 

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