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◆隠土(おんど)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「五百石」(昭和32.3)を使用したものである

所在:富山市隠土
地形図:千垣/五百石
形態:山中に家屋が集まる
標高:約470m
訪問:2011年6月

 

 町の北部やや西寄りにある。熊野川の支流、安蔵川の上流付近
 安蔵川沿いの車道終点から谷に降り、上流に進むと「山下仁次郎碑」(戦歿者の顕彰碑。明治41年建立)と地蔵があるが(写真1)、この付近が集落への登り口。地蔵は道標も兼ねており、「左をんど 右をはら」とあるのが分かる。集落までの道のりは遠くはないが、道が荒廃しており分かりづらい。集落では数箇所の屋敷跡を確認。陶器製の特徴的な器?(写真4)が2つ(一対?)落ちていたが、用途は不明。資料『村の記憶』にある納屋は確認できず。日枝(ひえ)神社跡(隠土179番地)と思われる場所へは、藪が深く近づくことができなかった。農地は屋敷跡の下方、北へ延びる尾根上に広く見られた。
 『村の記憶』によると、無人化は昭和37年。本多家2(本家・分家)・早山家・藤沢家・山下家が記載されている。藤沢家は他の家屋群から離れ、碑と地蔵付近に所在。炭焼きと田畑の耕作が主な生業。
 なお大字穏土は近世の新川(にいかわ)郡太田荘の穏土村。明治22年大山村(のち大山町)の大字となる。地名の由来は、口碑の平家の落武者の隠遁による「隠処(おんど)」か、北斜面の日陰の土地であるところから陰地が隠土になったと考えられる(角川)。

 


写真1 碑と地蔵

写真2 集落への登り道

写真3 屋敷跡。一段高くなっている

写真4 集落風景

写真5 何かの機械

写真6 陶器製の何か

 

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