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熊楠筆写「庚申三猿」図(「『和漢三才図会』抜書」より)

[Photo: Three Japanese Monkeys]

 写真:「『和漢三才図会』抜書」中「庚申」の項の「三猿」図(和歌山中学在学時)

 写真は、南方邸に遺されている熊楠幼少時の自筆資料の一つ「『和漢三才図会』抜書」の一葉で、同書巻四(時候類)中、「庚申」の項目を挿画ごと書き写したもの。前の項目である「社日」も書き抜かれているのが見えている。この三猿図は、いうまでもなく「見ざる・聞かざる・言わざる」の三徳を表す。日本語の地口によってなりたっていることからも、この三猿の図像は日本で成立したものと考えられているが、『和漢三才図会』では、ここでサルというインド的・仏教的モチーフと、日頃の不品行を天帝に知られないために庚申の日に物忌みや夜明かしをするという道教的風習とが結びついていることが説明されている。

 和歌山中学在学の頃に熊楠は、『和漢三才図会』『本草綱目』などの博物学的文献の抄写を多数の帳面に行っている。その中には、この「和漢三才図会抜書」や、「本草綱目抜書」と題されたもの(『熊楠研究』6号表紙の装画は後者のうちの「寓類(=サル類)」図模写)もそれぞれ数点(南方邸資料のほか、南方熊楠記念館所蔵品中にも)あるほか、「可所斎雑記」と題した、多数の図書からの抄写を含む綴りも複数ある。また、「動物学」と題された、動物分類体系概説ノートも複数(南方邸に三種類、他に南方熊楠記念館所蔵品中に一点)残っている。これは、西洋式動物分類法を土台として、その枠組みの中で上記のような東洋の博物学文献の記述を再構成しようとしたもので、多数の文献に散在する知識をつき合わせてあらたな統合を目指す、熊楠の論述様式の原形ともいえる。しかしこれらの「動物学」稿本は、いずれも「二掌類」(ヒトのこと)で始まり、次に「四掌類」(サルのこと)を説明したところまでで中断されている。

 民俗と宗教の中のサルへの熊楠の関心は成人後も持続しており、ロンドン時代には、庚申のサルがインドの猿神ハヌマーンであるという論議を土宜法龍と交わしている(1897年3月19日付書簡、『南方熊楠全集』7巻293頁)。少年の頃からなじみの深かったこの「三猿」の話題が、1903年にイギリスの雑誌『ノーツ・アンド・クェリーズ』"Notes and Queries" の「質問」欄に登場したとき、熊楠は 'Japanese Monkeys' と題した回答文をものし、積年の知識を駆使した東西にまたがるサル談義を四回にわたって展開した。(『全集』10巻英文122頁以下)。さらに後年、サルを巡る談義は日本語でも幾度となく熊楠の筆端にのぼることとなる。 (田村義也)

参考:大阪民博での「世界の三猿」の展示(1999年、「越境する民族文化」展イントロダクション)[掲載は終了しました]

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