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南方熊楠による変形菌キケホコリ観察図

 写真:熊楠による変形菌(真性粘菌) Trichia affinis (キケホコリ)標本観察図 (1930年頃)

[Photo: Kumagusu's drawing of Trichia affinis]

[書き入れ注記の読みは別ページを参照]

 上の写真は、和紙に墨で書かれた、熊楠の変形菌観察図。最下方に欧文で学名 Trichia affinis de Bary var. helvetica (Meylan) が記され、その上に「昭和五年七月六日/摂津国再度山/小畔集」と採集記録がある。神戸市在住だった小畔四郎(1875-1951)が、神戸市中央区の再度山(ふたたびやま)で採集した変形菌(真性粘菌) Trichia affinis(キケホコリ、熊楠が記している変種名 var. helvetica は今日用いられていない)を、標本にして送ってきたものと考えられる。小畔四郎は熊楠より八歳年下の実業家で、彼の変形菌研究における最大の協力者だった。熊楠はこの変形菌を微細に観察し、その形態・色彩の特徴を書き留めている。

参考:ケホコリ Trichia の仲間の写真数葉を、水上自然林での菌類観察のページに掲載しています。

 この図は、変形菌研究において当時指導的権威だったグリエルマ・リスター(1860-1949)が発表した論文「日本の変形菌 (Japanese Mycetozoa)」の、著者から熊楠へ贈呈された抜刷に貼り込まれていたものである。1914年発表のこの論文は、1906年以来熊楠が日本から送り続けた標本と観察報告に基づいて書かれたもので、熊楠がリスター父娘(アーサーとグリエルマ)に対して行ってきた協力・貢献の結実ともいえる。熊楠に送られたこの抜刷の表紙には、そのことを最大限の表現で称えるリスターからの献呈辞が記されていた(下の拡大図参照)。その存在自体が自分の学界への寄与の証しとなっている日本産変形菌目録に、十六年の後になってさらに新たな観察を追記したこの図は、熊楠の変形菌研究への生涯にわたる献身ぶりと、注ぎ続けた執念を象徴している。 (田村義也)

用語についての注記:熊楠は「粘菌」という言葉を使いました。この言葉は、英語(ラテン語からの借用)の Myxomycete という古い名称の造語法(語源的には「粘る+菌」)に忠実な訳で、当時はこちらが普通の用語でした。今日の日本の研究者は「変形菌」または「真性粘菌」という用語をもちい、前者が大勢となっています。これは、「細胞(性)粘菌類」など、近年になってこの仲間とは区別されるようになった近隣の生物との混同をさけるための、日本独自の用語法のようです。[2005. 1.14 追記] 熊楠は公刊した文章(明治・大正年間)では「粘菌」の語を使っていますが、明治期の日記などではながく「変形菌」と「粘菌」を混用していました。昭和に入ってから服部広太郎は、歴史的には「変形菌」の訳が日本では先に使われたことを理由に、どちらもよい名称ではないと前置きしながら「変形菌」の語を使いました。昔も今も研究者数が少ない領域でもあり、日本語名称の変遷は偶然の要素に左右される面が強かったかのもしれません。

英語では、リスターらは Mycetozoa (語源的には「菌+動物」)という新しい用語を積極的に使いました。これは、この仲間の生物が動物と植物のどちらに属するかという当時の問題意識の中で、動物に強く引きつけた彼らの理解を反映したものです。熊楠もこの立場に近く、語源を意識して、むしろ「菌虫」なのだと説明をしたりもしています。しかし今日では、生物一般について「動物と植物のどちらに属するか」という問いかけ方そのものがなされなくなり(生物五界説など)、名称も、それ以前から用いられていた Myxomyces (ラテン語単数)、 Myxomycetes (ラテン語、英語複数)という呼称が学界通用の欧語名称に落ち着きました。英語では、ギリシア語起源の造語要素を英語の語彙で直訳した slime mould (mold) という表現も用いられます。

 写真(下):熊楠旧蔵のグリエルマ・リスター著「日本の変形菌」( Gulielma Lister, "Japanese Mycetozoa", Transactions of the British Mycological Society", Worcester, 1914, Vol 5『南方熊楠邸資料目録』[抜刷 113])抜刷表紙。その上部余白には、熊楠への感謝をこめた献呈の辞が書き入れられている(下の拡大図―表紙地を明るく改変したもの―を参照)。

[Photo: Cover of Lister's treatise]
[Photo: Lister's compliments to Kumagusu]

To Kumagusu Minakata
with sincere thanks for his invaluable
services to the cause of Mycetozoa
from G. Lister

〔南方熊楠に。その粘菌のための計りしれない奉仕に、誠意と感謝を込めて、G. リスターより。〕

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