< [田辺−水上−妹尾−高野菌類紀行] < [フィールドノート] < [南方熊楠資料研究会]
和歌山県日高郡美山村 2003.10.19
付記:2005年5月より、旧美山村は町村合併により新設された日高川町となりました。
「妹尾官林」の呼称で南方熊楠の書簡にもたびたび名前の見える妹尾(いもお)地区(当時は川上村および寒川村、地元では「い」にアクセントを置いて呼ぶ)の国有林は、熊楠が昭和三年暮れから四年正月にかけての冬に足かけ四ヶ月にわたって菌類観察・採集のための山ごもりをした、重要な生物観察・採集地の一つです。この「昭和の山ごもり」の折りの感慨を詠んだ熊楠の句を刻んだ石碑が、妹尾林道入り口近く、猪谷川沿いのキャンプ場(猪谷川水辺公園・猪谷パーク)に建てられています。しかし現在の妹尾国有林は、その大部分が木材産出のための人工林となり、その相貌をすっかり変えられてしまいました。下の写真からも、南紀の原植生である照葉樹林相(水上自然林、 大塔山系など)や、妹尾の北方にわずかに残された西ノ河原生林保護区との雰囲気の違いを感じ取っていただけると思います。わずか半世紀前の昭和初年、老身の熊楠が厳冬を冒して観察・採集を行った頃までは、人間が侵入する以前からの原生林が紀伊半島の面積の過半を覆っていました。その頃の多彩な森林の情景は、もはやその片鱗をうかがうことも困難となっています。
杉畑と化した、単調な現在の妹尾人造林
熊楠による妹尾官林図 −須川寛得宛熊楠書簡(昭和三年十月二十七日、『南方熊楠全集』別巻第一 p407)より
妹尾即事
われ九歳の程より
菌学に志さし
内外諸方を歴遊
して息まず 今六拾三に
及んで此地に来り 寒苦
を忍び研究す これが何の
役に立つ事か自らも知らず
苔の下に
埋もれぬ
ものや
蟹乃甲
熊楠
昭和四年一月七日、妹尾山ごもりを終えて下山した時に訪問した、塩屋村の山田家に遺した色紙。
参考:この文書は、「大山神社合祀反対に関する古田幸吉宛書簡」(吉川壽洋編、南方文枝『父 南方熊楠を語る』所収)の解説(同書 p 167-168)で写真とともに翻刻紹介されています。また、雑賀貞次郎『追憶の南方先生』では「林道に蟹の死体を見るにつき」と題して収録されています(同書 p 168)。他に、同旨別形の句が上松蓊(しげる)宛南方熊楠書簡(昭和三年十二月三日、『南方熊楠全集』別巻第一 p168)にあります。