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◆神主(こうぬし)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「徳山」(昭和21.11)を使用したものである

所在:周南市須々万奥(すすまおく)
地形図:須々万本郷/徳山
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約350〜400m
訪問:2017年8月

 

 大字須々万奥の北部、錦(にしき)川の支流沿いにある。『地下上申』では「カウヌシ」、また「角川」の小字一覧でも「コウヌシ」のルビが振られており、読みはこれに拠った。
 市史には「錦川沿いの観音平唐櫃・神主・奥光(おくみつ)平瀬渡瀬下古津の諸集落は、菅野(すがの)ダム建設によってほとんどが水没し、観音平・奥光に一二戸を残すのみで、他はすべて住居を移転した」とあり、菅野ダムの建設後に離村したことが窺える。
 はじめ車道に従い左岸側を上流に向かっていたが、目的地付近を過ぎても谷との高低差が埋まらず、下方に向かって分岐していた鉄塔の巡視路より谷に降下。集落の農地跡に行き着いた。この谷に降りる巡視路は、上の地図画像の破線の道と思われる。農地跡を過ぎ右岸に渡ると家屋が1軒あり、これは最近の地形図にも記載。帰路も車道を中心に周囲を見て回ったのみで、他は屋敷跡と思われる平坦地が見られたのみ。
 資料『須々万村風土誌』によると、当地には河内大明神があったよう。また地名の由来は、「大内家の臣下瀬筑後守開氏作神勧請為守護家来山本勝左衛門居住致て神事執行〓
(※)仕候由に付地名と号来り候由」(「注進案」より)。

※ 本文では「木へんに丕」だが、字義不詳

 


(写真1 菅野ダム)

写真2 道と石垣

写真3 屋敷跡?


写真4 農地跡を望む


写真5 家屋


写真6 農地跡

写真7 同

 

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