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◆鳴(なる)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「徳山」(昭和21.11)を使用したものである

所在:周南市須々万奥(すすまおく)
地形図:菅野湖/徳山
形態:川沿いから斜面にかけて家屋が集まる
標高:約250m(水面は約270m)
訪問:2017年8月

 

 大字須々万奥の南部、錦(にしき)川沿いにある。現在は菅野(すがの)ダムの人造湖(菅野湖)に水没。
 市史には「錦川沿いの観音平唐櫃神主・奥光(おくみつ)平瀬渡瀬下古津の諸集落は、菅野ダム建設によってほとんどが水没し、観音平・奥光に一二戸を残すのみで、他はすべて住居を移転した」とあり、菅野ダムの建設後に離村したことが窺える。
 集落は完全に水没しており往時の様子は確認できないが、水没を免れたであろう墓地(写真5)が県道脇で見られる。墓石より、少なくとも1軒は松原家。またかつて当地には翠陰小学校があり、「翠陰小学校趾」の碑(写真6)が県道沿いに置かれている。
 市史および資料『須々万村風土誌』によると、小学校の主な沿革は以下のとおり。

 明治7  (戸谷小学校開校)
 明治8  (煤間(すすま)小学校戸谷分校となる)
 明治17  鳴に移転。鳴分校となる
 明治20  鳴簡易小学校となる
 明治25  煤間尋常小学校鳴分校となる(※1)
 明治26  沼城尋常小学校鳴分教場となる
 明治27  翠陰尋常小学校となる
 昭和16  翠陰国民学校となる(※2)
 昭和22  翠陰小学校となる(※2)
 昭和38  廃校

※1 市史では同年に「沼城尋常小学校鳴分教場」となっているが、『須々万〜』では明治26年4月に煤間尋常小学校が沼城尋常小学校に改称していることが記されている
※2 当方による加筆

 また『須々万〜』によると、地名の由来は「大川湍所位瀬音仕候故ナルと申候とあり」(「山口県風土誌」および「由来書」より)。

 


(写真1 菅野ダム)

写真2 県道の標識。「鳴下」と見える

写真3 同。「鳴上」と見える


写真4 集落付近を望む。奥の橋梁は鳴橋


写真5 墓地


写真6 碑

写真7 水面

 

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