◆戸石(といし)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「石鎚山」(昭和22.3)を使用したものである
所在:西条市小松町石鎚(こまつちょういしづち)字戸石 地形図:石鎚山/石鎚山
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約450〜550m
訪問:2008年8月・2018年1月
大字石鎚の西部、志河(しこ)川上流部にある。天ヶ峠(てんがとう)(=峠の名)の西2q弱。地理的には丹原町【現・西条市】を流れる志河川流域にあるが、隣接する岩勝との間に町界が通っており、戸石は石鎚の所属となる。
志河川沿いに林道戸石・天ヶ峠線を奥へと進み、道沿いに廃屋が見えてくる所がかつての集落。山側の斜面に入ると数軒の廃屋が集まっており、山側には神社や墓地(写真8)があった。
横峰寺(よこみねじ)の方によると、かつては学校があったとのこと。また中村の方の話では、高等小学校への通学は山(天ヶ峠)を越えなければならず大変だったため、楠窪の学校に通えるようにしてもらったという経緯があったという。
墓地では渡邊姓を確認。
町誌によると、当地にあった学校の沿革は以下のとおり。
明治42 |
千足山尋常小学校戸石分教場開設 |
大正15 |
廃止。児童は楠窪尋常小学校に委託(※1) |
昭和22.4.1 |
千足小学校戸石分校開校 |
昭和25.9.13 |
台風により校舎全壊。のち閉校。児童は楠窪小学校に委託(※1) |
※1 楠窪校は隣接する丹原町(当時)の神部付近にある。越境通学となったのは、戸石が小松町内(当時は千足山村、のち石鎚村)でも地理的に隔絶しており、本校よりも楠窪校への通学が容易であったためと思われる
2018年再訪。廃屋の一部が観音堂(写真6)であることや荒魂神社の本殿跡の碑(写真9)を改めて確認した。観音堂の棟札には「戸石電気事業」(昭和22年)の寄附者が記されているが、曽我部姓が複数見られ集落の大半は曽我部家であったよう。また神社跡の碑には、過疎のため町内北川妙口(※2)に遷座されたことが記されている。
なお前回は訪れなかった上部(北西方向)の宅地群にも足を延ばし、複数の宅地や墓地を確認。ここから西に向かう道があったため未訪問であった岩勝を訪れようとしたが、道は徐々に標高を上げ、岩勝のはるか後方を通過してしまった(のち斜面を真っすぐ下り訪問)。
※2 表記ママだが、北川(きたがわ)と妙口(みょうぐち)は別々の大字
資料『千足山物語』によると、当地には戸石の氏神の新魂(あらたま)神社があったとのこと。
また往時の家々は以下のとおり(※3)(1-12は集落中央の谷より西側、13以降は東側で、それぞれ概ね下方より)。
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戸主 |
屋号 |
備考 |
1 |
伊藤 |
(記載なし) |
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2 |
曽我部 |
シンタク下 |
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3 |
〃 |
サカエ |
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4 |
伊藤 |
(記載なし) |
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5 |
〃 |
イワガチ |
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6 |
― |
上(ウエ) |
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7 |
曽我部 |
西(ニシ) |
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8 |
― |
ナカ |
(※4) |
9 |
曽我部 |
上の新宅(しんたく) |
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10 |
伊藤 |
丘(オカ) |
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11 |
曽我部 |
上(ウエ) |
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12 |
〃 |
(記載なし) |
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13 |
伊藤 |
ノブイチ |
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14 |
― |
宮ノ上 |
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15 |
― |
宮ノ下 |
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16 |
和田 |
(記載なし) |
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17 |
曽我部 |
なる |
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ほか堂宇・学校、志河川の対岸に商店が記されている。
※3 屋号の平仮名・片仮名の混在は本文ママ。また石鎚地区には伊東姓が多いが、「伊藤」は本文ママとした(情報提供者は伊東氏)
※4 原本の絵地図では、他の家々とは異なり□(四角形)で記されている。註記として、情報提供者の談で「□で書いてある人は、のりきのりまつかんざぶろさんと申します。(中略)弓のめいじんで戸石の氏神様におまつりしてあります」とある
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