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◆成就(じょうじゅ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「石鎚山」(昭和22.3)を使用したものである

所在:西条市小松町石鎚(こまつちょういしづち)字上黒河(かみくろかわ)
地形図:瓶ヶ森/石鎚山
形態:山中に施設が集まる
標高:約1,400m
訪問:2018年8月

 

 大字石鎚の南東部、加茂(かも)川支流の黒川(くろかわ)谷の最上流部にある。
 山岳信仰の場である石鎚(いしづち)山の中腹(7合目)に位置し、参詣の拠点として石鎚神社の中宮(成就社)や遥拝所(土小屋遥拝殿)、旅館等の施設がある。
 当地へは大字石鎚の河口(こうぐち)
虎杖、西条市西之川(にしのかわ)の野地より登り口があるが、現在は西之川の下谷(しもだに)からロープウェイが開通し、現地の手前(標高1,300m)まで容易に訪れることができる。なお河口からは黒川を通過する黒川道、西之川の今宮を経由する今宮道いずれも選択できる。虎杖からの道は本来の黒川道。
 成就社は職員が通年常駐、3軒ある旅館も通年営業とのことだが、宿での聞き取りでは旧来から当地に籍を置いて居住する家はなく、宿は滞在しながら営業しているとのこと。なお宿泊施設は日の出屋旅館・白石旅館(常住屋)・玉屋旅館の3箇所。
 以下は現地にある説明板「中宮成就社由緒」より。


日本七霊山、霊峰石鎚山を神体山と仰ぐ。
標高一九八二m。西日本随一の高峰。
国定公園。
修験道の祖、役行者により開山。
弘法大師始め、高僧、行者が修行。
山岳修験道の霊山として知られる。
役之行者、修行を全うして曰く、
〔我が願い、成就せり。〕
為に成就社と名付く。心願成就の由緒なり。
日本、ハワイ、ブラジルに、教会、遥拝所、約一六〇ヶ所。
先達は約九万、教師は約三千、信徒百万。


 以下は同じ題の別の説明板より、地名の由来。


霊峰石鎚山の開山の祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が、山中での厳しい修行を途中で諦めて下山していた折、白髪の老人が斧を研いでいるのに出会う。
訊ねると、答えて曰く、
「この斧を研いで、針にするのだ。」
これを聞き、
「途中で諦めてはならぬ。最後までやり遂げよう。」
と心に誓い、厳しい修行に戻った。
下山の際、此の処にて霊峰石鎚山を見返り遥かに拝して曰く、
「我が願い、成就せり。」
故に、此の地に建立された石鎚神社を〔成就社〕
頂上を遥拝し処に建立された御殿を〔見返り遥拝殿〕と名付く。


 以下は境内社である八大龍王(はちだいりゅうおう)社(写真6)にある、「八大龍王社由緒」より。


石鎚山中では〔水〕は大変貴重であり、ここ成就社では、往古より八大龍王神が水を司る神として奉斎されてきた。開山の祖、役行者の勧進とも伝えられる。
ご祭神故か女性参拝者も多く、厳しい天候の中も祈願を行う方が絶えない。脱皮から再生復活、永遠の命や若返りのご神徳、七生報国の由来ともされる。
古来の八大龍王社殿横には御神水の湧き出る泉がある。砲台地形の成就社境内での不思議の一つと数えられる。この泉は役行者が禊をした、とも伝えられ、黒川谷の源流でもある。
昭和五十五年の成就社大火にて八大龍王社は焼失したが翌年再建立され、平成二十一年春には再び建立された。
八大龍王社のおかげ話を始め、成就社大火後の御遷座時にまつわる不思議な出来事などは、現在でも当時の方から直接伺い知ることが出来る。

 


写真1 鳥居と日の出屋旅館(参道両側。正面は白石旅館)


写真2 白石旅館

写真3 玉屋旅館

写真4 何かの施設

写真5 成就社本殿(右)と手水舎(左)・遥拝殿(左奥)

写真6 境内の八大龍王社。当地では貴重な水を司る神で、御神水の湧き出る泉がある。黒川谷の源流

写真7 遥拝殿にて。晴天であれば石鎚山が見える

写真8 碑。「昭和五十五年十一月十三日旅館より出火し為に成就社礼拝施設等ことことく類焼す」とある

写真9 石柱。「地籍標示小松町大字石鎚四一七番地」とある

写真10 総合案内所・物品販売所等

写真11 山門。ここから石鎚山へ向かう

写真12 案内図

 

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