◇兵生(ひょうぜい/ヒョーゼ)
所在:田辺市中辺路町兵生(なかへちちょう―)
町の中北部、富田(とんだ)川の最上流にあたる地区。小さな集落が、富田川沿いに点々と見られる。 宝暦10年 38戸、158人
≪春日神社の航空写真・地名と解説≫
大字内には「春日(かすが)神社」という神社があり、敷地内の小屋にはかつての兵生を写した航空写真が掲げられている。これには地名が書かれたラベルが貼られており、地形図に記載のないものや集落名以外のものもある。ここではこれらについて補説する(順番は南より。表記はママ)。
◆石里(いしざと) 大字福定(ふくさだ)から兵生に入って最初の地区。人家はない。小字に「石里」がある。 ◆張安 ◆西小串 ◆上谷(うえだに) 西小串の少し北にある。道沿いに1軒の民家があった。西小串の外れといった感じ。 ◆小串垣内(こぐしかいと) 和久保の対岸にあたる。 ◆和久保 上小串・下小串の総称。レポート参照。 ◆宮代(みやしろ) 富田(とんだ)川の支流・宮代谷の辺り。 ◆宮代垣内(みやしろかいと) 宮代のうち、民家のある一帯。宮代のレポート参照。 ◆向平◆地下 ◆宮瀬 ◆寺野 ◆野川原(のがわら) 富田川と坂泰谷の合流点で、富田川左岸、林道沿い。緩やかな斜面になっている。単なる地名。 ◆土場(どば) 富田川と坂泰谷の合流点で、坂泰谷を少し遡った辺り。商店の跡(写真1)が1箇所残り、山への入口には鳥居もある(写真2)。大泰から山を下るとこの場所に着き、山仕事の拠点だったと思われる。林業の「土場」のことだろう。坂泰のレポートも参照。 ◆大泰(おおたい) 富田川の支流・太泰谷の辺り。地形図では「太泰」。谷沿いの道を終点まで歩いたが、建物などはない。登りきると道幅があり意外に歩きやすい。石垣も築かれている。林業が盛んなころは、山仕事の人々が多く行き来していたのだろう。 ◆坂泰
|