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◆中ノ宿(なかのしゅく)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「赤石嶽」(昭和21.10)を使用したものである

在:静岡市葵区田代(たしろ)
地形図:上河内岳/赤石岳
形態:川沿いに施設が集まる
標高:約1,030m
訪問:2020年11月

 

 大字田代の南部、大井(おおい)川左岸にある。一部の地図サイトでは大井川を大字境界とし、大字小河内(こごうち)となっている。
 資料『大井川流域の林業』によると、井川(いかわ)山林(※1)において林業が盛んであった時代、その拠点(「会所」と呼ばれる)があった場所とのこと。大倉喜八郎氏(※2)が事業を開始した頃(大倉組山林部時代。明治20年代〜)は拠点は木賊にあったと伝わり、のち当地に移転した。当時の労働者の往来および物資の輸送は、山梨県の富士(ふじ)川から身延、早川町大島(おおしま)、同雨畑(あめはた)を経て、県境の「所ノ沢越」を越し当地に至るのが一般的であった。大正12年に椹島、昭和8年に二軒小屋に移転。作業宿舎や倉庫などの施設もあり、大正6年から昭和13年までに27棟が設けられていたとのこと。

 沼平ゲートより林道東俣線を進み、「中ノ宿吊橋」を過ぎた辺りの対岸がその跡地。現地は2段のやや広い平坦地となっており往時は何かがあった雰囲気が残るが、遺構や遺物といったものはほぼ皆無。
 なお昭和24年の航空写真では、14棟ほどの建物が南北に連なっているのが確認できる。

※1 旧井川村北部の山林で、現在の特種東海製紙株式会社の井川社有林。江戸時代より木材の伐採が行われてきたが、大倉喜八郎(後述)が購入し林業に進出して以降隆盛となる
※2 大倉喜八郎(おおくら・きはちろう)は、明治から大正時代にかけて活躍した実業家。大倉財閥の設立者。1837年生、1928年歿。乾物・鉄砲店・生糸買い付けなどで財をなし、商業活動の一環として大倉組による山林業を開始し、明治20年代に本格化した。明治40年東海紙料株式会社(のちの東海パルプ株式会社、現・特種東海製紙株式会社)創立(『大井川流域の林業』および椹島の説明板より)

 


写真1 現地の遠景。左の谷は中ノ宿沢

写真2 中ノ宿吊橋

写真3 平坦地

写真4 平坦地

写真5 林道の地名標示

 

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