戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆椹島(さわらじま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「赤石嶽」(昭和21.10)を使用したものである

在:静岡市葵区田代(たしろ)
地形図:赤石岳/赤石岳
形態:川沿いに施設が集まる
標高:約1,120m
訪問:(1994年8月)・2020年11月

 

 大字田代の中部、大井(おおい)川右岸にある。
 資料『大井川流域の林業』によると、井川(いかわ)山林(※1)において林業が盛んであった時代、その拠点(「会所」と呼ばれる)があった場所であったとのこと。大倉喜八郎氏(※2)が事業を開始した頃(大倉組山林部時代。明治20年代〜)拠点は
木賊にあったといわれ、のち中ノ宿大正12年に当地に移転した。当時の労働者の往来および物資の輸送は、山梨県の富士(ふじ)川から身延、早川町大島(おおしま)、同雨畑(あめはた)を経て、県境の「所ノ沢越」を越え当地に至るのが一般的であった。このルートは昭和8年に二軒小屋に移転する頃から寂れ、早川町新倉(あらくら)、転付(でんつく)峠を越えるものが主流になっていった。
 なお作業宿舎や倉庫などの施設もあり、大正6年から昭和13年までに43棟が設けられていたとのこと。
 また東俣林道は、昭和39年8月着工、昭和44年末に当地まで到達した(二軒小屋までの完成は昭和47年度見込みとある〔刊行は昭和46年〕)。

 現在は南アルプス登山の拠点「椹島ロッヂ」(※3)が営業中で、宿泊やテント泊が可能。宿泊施設のほか、レストハウス・自然ふれあいセンター・南アルプス白〓史朗(しらはた・しろう)写真館(※4)といった施設もある。訪問時はリニア中央新幹線の建設に伴う作業基地となり、作業員の宿舎や資材置場として供用。建設中の建物も見られた。ほか冬季に開放されていた登山小屋もあったようだが、案内などによると近年解体されたという。北側には大倉氏の記念樹と同氏の赤石(あかいし)岳登頂記念碑があり、井川山神社が祀られる。
 なお当地にある「旧クラブハウス」(写真12)は大正時代から残る唯一の建造物で、昭和期には要人の対応に用いられたという。屋根の意匠は社章(略章)(解説板より)。
 現地東側の鞍部は「牛首峠」と呼ばれ、赤石岳を望むことができる(写真21)。

※1 旧井川村北部の山林で、現在の特種東海製紙株式会社の井川社有林。江戸時代より木材の伐採が行われてきたが、大倉喜八郎(後述)が購入し林業に進出して以降隆盛となる
※2 大倉喜八郎(おおくら・きはちろう)は、明治から大正時代にかけて活躍した実業家。大倉財閥の設立者。1837年生、1928年歿。乾物・鉄砲店・生糸買い付けなどで財をなし、商業活動の一環として大倉組による山林業を開始し、明治20年代に本格化した。明治40年東海紙料株式会社(のちの東海パルプ株式会社、現・特種東海製紙株式会社)創立(『大井川流域の林業』および椹島の説明板より)
※3 昭和53年営業開始(特種東海製紙株式会社ウェブサイトより)
※4 〓は「籏」の11画目・12画目がないもの

 


写真1 牛首峠(林道)からの降り口

写真2 現地に通じる車道からの降り口

写真3 林道の地名表記

写真4 案内地図より

写真5 ロッジ別館事務棟。東海フォレスト事務所ほか、自然ふれあいセンター・南アルプスネイチャーガイド事務所が入る

写真6 同。共同棟

写真7 同。宿泊棟

写真8 可搬式消防ポンプ

写真9 防火水槽?

写真10 レストハウス

写真11 便所

写真12 管理棟(旧クラブハウス)

写真13 写真12の社章(菱形に「ト」)

写真14 白〓史朗写真館
※ 〓は「籏」の11画目・12画目がないもの

写真15 記念樹

写真16 神社。鳥居

写真17 神社。灯籠と社殿

写真18 建築現場(登山小屋・コインロッカー等の跡地)

写真19 建築現場(写真館裏手)

(写真20 赤石岳方面登山口)

(写真21 牛首峠から赤石岳を望む)

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ