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◆駄尾沢(だおぞう)

所在:檜枝岐村字燧ケ岳?(大字なし)
地形図:会津駒ヶ岳/檜枝岐? 奥只見湖/八海山?
形態:川沿いに家屋が集まる?
標高:約760m?(水面は約740m)
訪問:2023年6月

 

 資料に見られる戦後の開拓集落。詳細な位置は不明だが、村の北西部、只見(ただみ)川右岸、胴抜ノ沢との合流部対岸の平坦地か。

 村史によると、駄尾沢開墾地は昭和20年営林署より土地の貸付を受け、昭和21年より入植開拓事業が開始された。入植者は平野・佐藤・平野・星・星の各氏。開拓面積は12.36ha。未開の肥沃な原野で開墾に適し、小沢平砂子平赤岩平とともに選定された。
 開拓初期は焼畑で食糧を生産。当時は通う道もなく、只見川を何度も籠渡しで越えて往来。熊笹や巨木が茂る未開の地に小屋を建て、米もなく、山菜と芋と若干の粟などの雑穀を食べ、漸次耕地を開拓していった。のち道路・水路等の公共事業を進めるべく、開拓農業協同組合を組織して次第に進展した。
 昭和28年奥只見ダム・同発電所建設が決定。昭和30年3月30日、駄尾沢・柳沢の11戸は新潟県小出町【現・魚沼市】の電源開発事務所において協議し、補償を受諾。各地に移転することとなった。柳沢と合わせた11戸の転出先の内訳は、檜枝岐本村3戸、郡山市2戸、小出町4戸、西蒲原郡1戸、東京都1戸。

 村史には集落の位置について具体的な記述はないが、資料『檜枝岐の暮らしと地名』の掲載の順序(※)より、胴抜ノ沢合流部の対岸の平坦地と推定。水没はしていないため断定はできないが、推定部分の北側がダム湛水域に達している。
 この場所では、昭和22年・同28年の航空写真ともに数棟の小さな建物が見られる。
 大津岐訪問時に意識せず通過したが、平坦な林地であったと記憶している。

※ 赤岩分校・診療所跡→小白沢→ヒルバ沢→大津岐山→駄尾沢開拓地→尾瀬口乗り場→胴抜ノ沢→滝ノ沢→柳沢開墾地…の掲載順になっており、概ね南から順を追っていることが分かる

 

 

◆◆写真はありません◆◆

 

 

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