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◆赤岩平(あかいわだいら)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「檜枝岐」(昭和44.3)を使用したものである

所在:檜枝岐村字燧ケ岳(大字なし)
地形図:会津駒ヶ岳/檜枝岐
形態:川沿いの平坦地に家屋が集まる
標高:約780m
訪問:2023年6月

 

 村の西部、只見(ただみ)川右岸にある。戦後の開拓集落。

 村史によると、赤岩平開墾地は昭和20年営林署より土地の貸し付けを受け、昭和21年より入植開拓事業が開始されたとのこと。入植者は橘・橘・星・安達・星・平野・星・平野・平野・星・星・平野・平野・星の各氏。開拓面積は36.3ha。未開の肥沃な原野で開墾に適し、小沢平砂子平駄尾沢とともに選定された。
 開拓初期は焼畑で食糧を生産。当時は通う道もなく、只見川を何度もかご渡しで越えて往来。熊笹や巨木が茂る未開の地に小屋を建て、米もなく、山菜と芋と若干の粟などの雑穀を食べながら、漸次耕地を開拓していった。のち道路・水路等の公共事業を進めるべく、開拓農業協同組合を組織して次第に進展した。
 昭和33年8月26日、檜枝岐本村の鎮守を分祀し集落の鎮守社が祀られた。
 昭和34年10月、赤岩診療所完成。奥只見電源開発事業に伴う補償の一環であった。昭和43年11月19日、失火により焼失。
 昭和34年10月、檜枝岐小学校赤岩分校の校舎が完成。それまでは対岸の
鷹ノ巣分校(新潟県)に委託して児童を就学させていた。なお資料『福島県災害史』では診療所と同じ昭和43年11月19日に「赤岩分校から出火」とあり、校舎・診療所が同時に焼失していることが分かる(両者は隣接)。
 昭和36年水路完成。
 昭和38年8月30日、集落内に車道が完成。
 昭和41年末、簡易水道完成。

 資料『檜枝岐の暮らしと地名』によると、山中に建てた小屋を拠点に行うゼンマイの採取も盛んに行われていたとのこと。昭和43年に全戸が檜枝岐本村に移転した。分校の閉校も同年。

 現地には小屋や廃屋が残っているものの、往来している人は少ないよう。学校跡は1970年代の航空写真で見当をつけて訪れたものの、確信は持てず。

 


写真1 赤岩橋。鷹ノ巣側(新潟県)より赤岩平(福島県)を望む


写真2 屋敷跡

写真3 小屋

写真4 集落風景

写真5 集落風景

写真6 農地跡

写真7 学校もしくは診療所跡?

写真8 廃車(写真7にて)

 

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