|
|
|
|
■ 明治35年 |
|
高田 貞楠(たかだ さだくす) |
現紀州高田果園当主の祖父高田 貞楠が桑畑を梅畑にしようと考え、近所から内中梅の実種苗60本を購入。その中に、ひときわ豊かに実り、大粒の実に美しい紅のかかる優良種が一本有る事を発見。 |
|
これを母樹とし、「高田梅」として大切に育てました。これが、現在梅の最高品種といわれる「南高梅」の始まりです。 |
|
|
■ 昭和6年 |
|
小山夫妻 |
小山 貞一(こやま さだいち)氏が、現当主の祖父高田貞楠より門外不出の「高田梅」の穂木60本を譲り受ける。 |
|
接ぎ木をしても半分も育たないなどの苦労を重ねながら、 梅畑を広げていきました。 |
|
|
■ 昭和25年 |
|
「南高梅発祥の地」の石碑 |
梅の優良品種探し
村内で大規模な優良品種探しが始まり、小山貞一氏も選定委員として選出され、優良品種の選定に参加する。このとき、「高田梅」が最優秀品種として選ばれた。 |
|
その後、選定委員長で和歌山県立南部高校教諭竹中 勝 太郎先生が、同校園芸科の生徒さん達に実習指導を行い
ながら「高田梅」の更なる改良を行いました。 |
|
|
■ 昭和40年 |
|
種苗名称登録証 |
「高田梅」に、「南高」という新しい名称をつけ種苗名称登録を行う。 |
|
改良に尽力された「南部高校」と「高田梅」、そして「南部川」を組み合わせて「南高」と命名し、現当主の祖父高田貞楠が登録者として種苗名称登録を行いました。 |
|