宮子姫像

我がまち、御坊の紹介僕の生まれ育ち、住んでいる御坊市について紹介します。
”御坊”という地名の由来
 天文年間、当時のこの地を支配した湯川直光が、戦いに苦戦した時に本願寺の加勢を受けたことから、吉原浦(美浜町)に堂宇を建て、次子信奉を仏門に帰依させた。これが日高別院(日高御坊)の前身であり、その後、戦火に見舞われたが、文禄4年(1595年)に紀伊浅野家家臣の佐竹伊賀守が、この地に西本願寺の別院(日高御坊)を移築した。この頃から門前町として、都市的発展が始まり、御坊の地名は、この日高御坊の門前町として発展する中で、この本願寺別院を人びとが尊崇し、「御坊様」と呼んだことしたことに由来している。
 
 ”美人の里”の由来 宮子姫物語
 西暦700年頃、九海士の浦という小さな漁村で生まれた宮子という女児は大きくなっても髪の毛が生えませんでした。ある日、母親が海の底から小さな観音さまを拾い上げ、お祭りし、願をかけると不思議にも娘に髪が生え出し、日に日に長くなりそれはもうすばらしい黒髪の持ち主となりました。
ある日、この黒髪を燕がくわえて奈良の都に飛んで行き、藤原不比人の屋敷に髪で巣をつくりました。当時は髪が長い程美人であるとされていましたので、この髪の毛を持つ娘を探すこととなりました。そして、探し出された宮子姫は不比人の養女となり文武天皇の妃となりました。
宮子姫は自分を幸せにしてくれた観音様をお祭りしたいと天皇にお願いし、立派なお寺を建立しました。これが、道成寺です。




地勢 歴史 御坊が誇る日本一 航空写真 特産品




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