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調査・研究の情況

 南方熊楠関連の資料は、手稿・抜書・メモ・日記・書簡・標本などのかたちで、和歌山県田辺市の旧邸と同白浜町の記念館にその大部分が残されています。こうした資料群は、そのあまりの膨大さゆえに、熊楠の没後、網羅的な調査が行われないままに保存されてきました。たとえば、熊楠が自身で執筆した文章のうち、論文・日記・書簡などの「著作」と呼びうるものだけをとってみても、現在確認されているだけで平凡社版『南方熊楠全集』全十二巻や八坂書房版『南方熊楠日記』全四巻他に公刊されているものの三倍以上の量に達します。

 熊楠資料研究会では、こうした状況に鑑み、今後南方熊楠の資料をできるだけ一般の利用に耐えるかたちにしていくための作業を行ってきました。調査そのものは、南方熊楠旧邸が平成四年、南方熊楠記念館が平成6年に開始されており、この間、平成8〜10年度には文部省科学研究費基盤研究(A) (1)「南方熊楠の基礎資料の研究」(08301003)を受け、平成12年度からは学術振興会基盤研究(B)(1)「南方熊楠資料の連関的研究」(12410012)を受けています(平成15年度までの予定)。

 さいわいこの研究は、南方熊楠邸の資料所有者である故南方文枝さんと、資料管理者ある南方熊楠邸保存顕彰会、南方熊楠記念館、国立科学博物館実験植物園のご理解とご協力にも恵まれて、所期の目的をほぼ順調に達成することができました。この結果、それまでの調査と合わせて、蔵書目録、雑誌目録、新聞切り抜き目録、標本目録などがデータベースとしてほぼ完成し、実用化を待つ段階となっています。

 熊楠資料研究会では、今後はこの「南方熊楠の基礎資料の研究」の成果に基づき、重要資料のマイクロ化、また各データベースの目録化を完成させることを企図しています。そして、さらにさまざまな分野・形態にまたがるそれらの資料の有機的な関連づけへと研究を進めたいと考えています。今後の具体的な作業は、個々の進行状況によって多少の差異がありますが、大まかに分類すると、以下の通りとなっています。

  1. すでにマイクロ化の終わった抜書類(主に英国滞在中の一八九五―一九〇〇年になされた洋書中心の「ロンドン抜書」全五十二巻と一九〇七―一九三四年頃に田辺でなされた和書中心の「田辺抜書」全六十一巻を指す)について、原書調査を行い、データベース目録を完成させる。

  2. 原稿類・書簡類などは現在おおよその分類・調査が進行中であるが、これをデータベース目録として完成させる。また、必要なものは適宜マイクロ化を行っていく。

  3. 標本類は、現在茨城県つくば市の国立科学博物館実験植物園において隠花植物、田辺市の旧邸においてその他の植物と動物(主に昆虫)が調査されているが、それぞれについて調査結果に基づくデータベース目録を作成する。

 さらに、こうした分野別に作成されたそれぞれの資料データベースを具体的に研究に生かせるかたちにしていくために、今後はそれらの相互間の有機的な関連づけを行うことにも重点を置く必要があります。

 当然のことですが、熊楠の活動の中では抜書も、蔵書も、著作も、書簡も、標本も、ばらばらの現象なのではなく、すべて連続した学問構想の中で生じてくる部分です。それぞれを分類・整理した後にもう一度総合化しなければ、それらが全体としてどのように機能していたのかは見えてこないことになります。

 たとえば、よくある具体的なケースとしては、熊楠がロンドンである書籍の中の菌類の記述について抜書Aを行い、それを基にして田辺在住期に植物図譜Bを購入して、近郊の森林で同種を採集して標本Cを作成し、その記録を論文Dとして発表するとともに、関連学者宛の書簡Eで知らせる、というようなことが起こります。この場合、これらの情報は、現在のデータベース目録では、Aは「ロンドン抜書目録」、Bは「邸内蔵書目録」、Cは「隠花植物標本目録」、Dは「著作目録」、Eは「邸内資料目録」の中に個別に見いだされ、熊楠という個人の行動の流れとしてはとらえられないことになります。

 こうした資料間の有機的な関連付けを支える方法として、今後の研究では主に少年時代から没年まで六十年近くにわたって途切れることなく克明につけられた日記に着目し、これを利用したクロノロジカルなデータベースを作成することを考えています。熊楠の日記中には、一日の行動の他、書簡の送信・着信、書籍の購入、抜書状況、採集記録などがかなり正確に記述されているので、それぞれの項目についての情報を取り込んだデータベースを作成することによって、これをハブとして他の分類別データベース目録間の相互関係を明かにすることが期待されます。これによって、従来は研究者の見込みに頼らざるを得なかった資料の連関的研究が、かなり容易なものになると考えられるのです。

 こうした資料目録の連関研究の重要性は、南方熊楠の学問構想の中でそれが直接に人文科学と自然科学の相互関係と言った大問題とつながる点にあります。熊楠の学問構想のもっとも先駆的な部分が、人間社会の連関性を捉える学問としての民俗学と、生物間の連関性を捉える学問としての生態学を結びつけたことにあるという分析は、今日ではほぼ定説となりつつあると言ってよいでしょう。だとすれば、熊楠という一個人の思想の流れの中で個々の資料の持っていた意味を取り戻させることは、熊楠が本来意図していた人文科学から自然科学にまたがる総合的な学問構想をよみえがえらせることにつながるはずだと考えられるのです。

 今後の研究では、個々のデータベースを完成させ、一般の利用に耐えうるものにするとともに、こうした有機的連関づけを行うことで、南方学の全貌を明かにさせるような方向に研究を進めていきたいと考えています。

松居竜五・原田健一「南方熊楠資料調査の中間報告」(『熊楠研究』第1号、1999.2)を改稿: 2000年3月現在

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