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◆野竹(のだけ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「加計」(昭和22.2)を使用したものである

在:安芸太田町下筒賀(しもつつが)字野竹
地形図:坪野/加計
アクセント:ダケ
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約500m
訪問:2013年5

 

 大字下筒賀の南部にある。下筒賀の大部分は太田川の右岸南斜面になるが、一部が稜線を越え当集落を取り込んでいる。
 集落への道は下筒賀の辺森(へもり)集落および中筒賀(なかつつが)(筒賀村【現・安芸太田町】)の田之尻(たのしり)集落から通じている。辺森からは峠を越えることになるが距離は短い。
 訪問は辺森方面より。南の峠付近までは車道があり、ここから徒歩で下る。集落内は荒れており、1箇所の屋敷跡を特定するにとどまった。石垣や段々の土地が集落の跡を物語る。なお谷の対岸にも石垣が見られ集落の痕跡があるようだが、確認せず。
 地元の方(親しい人が野竹出身)の話によると、かつては3〜5軒くらい。僅かな田畑を作りながら、主に林業で暮らしていたという。かつて今寿(こんじゅ)庵という小規模な仏教施設があったが、後に正式に寺院となり今寿寺となっている。佐々木(ささき)家が多い。

 町史(昭和36年刊行)には、「野竹は現在寺を含んで五戸であるが、かつては更に三戸多く、明治五年には十戸であった」とある。寺尾水谷都賀尾などとともに大正末年から昭和初期までに電灯が導入された。
 町史
地誌編(平成9年)によると、昭和35年4戸17人。
 町史
通史編(平成19年)によると、かつては12、3戸。広浜新聞(昭和43年)からの引用より寺の移転問題について言及されており、これによると当時1戸のみ暮らしていた今寿寺が加計の丁川(よろがわ)への移転を計画したところ、地元民や地区内の常禅寺からの反対に遭ったという(※)

※ その後今寿寺は丁川地区に移転しており、問題は解決したことが窺える。なお浄土真宗本願寺派(西本願寺)のウェブサイトによると、住職の死去に伴い今寿寺は平成30年9月に法人を解散したとのこと。土地や建物は萬福寺(中筒賀)により管理され、現在は宿坊や集いの場となっている(2023年記)

 


写真1 道と屋敷跡?の石垣

写真2 屋敷跡?

写真3 何かの跡(農地?)

写真4 石垣

写真5 屋敷跡にて

写真6 何かの穴

 

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